◇◆◇日々のみ言葉
2017年2月8日(水)
◎聖書箇所 【ルカの福音書6章45節】
6:46 「なぜ、私を『主よ、主よ。』と呼びながら、私の言うことを行なわないのですか。」
◎ショートメッセージ
《今日のイエス様のお言葉は、私を始め、多くのクリスチャンの方々の、心の奥底を突き刺すような、まるで刃(やいば)のような教えではないでしょうか。
ヘブル人への手紙の著者はこう告白しています。
『神の言葉は生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。(ヘブル人への手紙4:12)』と。
イエス様は子なる神様であられます。またイエス様は、ご自身が語られた言葉は、父なる神様が与えられた、とも言われました。
よってこのお言葉も、父なる神様が語られたことになります。
「なぜ、私を『主よ、主よ。』と呼びながら、私の言うことを行なわないのですか。」
パリサイ人や律法学者たちは、決してイエス様を「主」とは告白しませんでした。よって、イエス様を『主よ、主よ。』と呼ぶのは、弟子たちであり、またイエス様の成された御業を直に見聞きし、その教えによってイエス様が「メシヤ」であることを信じた人々を指すのです。
しかし、信仰を持った人であっても、主イエス様の教えられたことを実行する人と、実行しない人が存在すると、イエス様は言われるのです。
福音は、主イエス様を信じることによって、救われることを証します。人は、イエス様が、自分の罪の為に身代わりとなって、十字架に掛かられ、そして死なれ、三日目によみがえられたことを、心から信じ、口で告白して救われ、永遠の命をいただけるのです。すべては恵みの他にありません。
しかし、そのことは出発点であり、私たちはゴールを目指して成長して行かなければなりません。その為にも、主イエス様の言われたこと、教えられたことを実行していかなければならないのです。
そしてそれこそが、生きた信仰の証となるのです。
み言葉をただ聞くだけに留まらず、実行する人になりましょう。具体的には、心からへりくだり、人を赦し、人に施し、人を愛せる人になることなのです。
そのことを、毎日のデボーションを通して、聖霊様が変えて下さると信じます。》