◇◆◇日々のみ言葉
2017年8月6日(日)
◎聖書箇所 【ルカの福音書11章10節】
11:10「誰であっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。」
◎ショートメッセージ
《イエス様は言われました。
「私は、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」
ルカの福音書におけるこの箇所は、「平地の説教」と言われているものです。
同一箇所ではありませんが、マタイの福音書の「山上の垂訓」における、イエス様の同じ教えを見てみることにしましょう。
『求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。誰であれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。(マタイの福音書7:7~7:8)』
ほとんど変わらないのです。しかしルカとマタイの福音書では、決定的な違いが、イエス様のこの話の最後にあるのです。そのことは、また後ほどに詳しく学びたいと思います。
その決定的な違いから、「山上の垂訓」の教えを、イエス様は何度も繰り返して、弟子たちに、あるいは群衆に教えられたことが考えられます。
それほどに、祈りの教えは、重要な教えであり、また奥義であるとも言えるでしょう。
さて、本日の聖書箇所に目を向けることにしましょう。イエス様は、もう一度繰り返しています。
マタイは「誰であれ」、そしてルカは「誰であっても」となっています。
「誰であっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。」
それでは、イエス様が言われたこのみ言葉の本当の真意は何なのでしょうか。祈り続ければ、その願いはやがて答えられ、何を捜しているのかも示され、またどんなに前がふさがれても、たたき続ければ必ず開かれるものとは、いったい何なのでしょうか。
それは「神様ご自身」です。それは「真理」です。そしてそれは「いのち」なのです。
イエス様は言われました。
「私が道であり、真理であり、いのちなのです。」と。
求め続ける者は、捜し続ける者は、たたき続ける者は、イエス様を見い出すのです。》