• 日々のみ言葉 2017年8月23日(水)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2017年8月22日(火)

    ◎聖書箇所 【ルカの福音書11章33節】
    11:33「誰も、あかりをつけてから、それを穴倉や、枡の下に置く者はいません。燭台の上に置きます。はいって来る人々に、その光が見えるためです。」

    ◎ショートメッセージ
    《イエス様は、パリサイ人や律法学者たちに言われました。
    「見なさい。ここにソロモンよりもまさった者がいるのです。」
    「見なさい。ここにヨナよりもまさった者がいるのです。」

     ソロモンは、人類の歴史上において、まさしく最大の知恵者でありました。彼の書いた箴言からも、そのすごさが分かります。ソロモンの知恵は、自分で学んで身につけた知恵ではなく、神様によって与えられたものなのです。
     そのソロモンよりも、知恵が勝るとしたら、もはや人間ではなく、神様しかおられません。ここでイエス様は、ご自身が神の御子であることを宣言されているのです。

     ヨナは、当時のイスラエルの敵であるアッシリヤ帝国の首都ニネベに遣わされた預言者でした。彼は、神様の命令には従わず、船に乗ってタルシシュに逃げようとしましたが、神様の力強い腕によって、強制的に、ニネベに送り戻されたのです。
     ヨナの働きによって、当時最も残酷と言われた人々に、大リバイバルが起こされたのです。ヨナの働きは、本当に素晴らしいものでした。
     そのヨナ以上の預言者であることを、イエス様は宣言されているのです。

    「見なさい。」と言う言葉は、パリサイ人や律法学者たち、ユダヤの指導者に、ご自身を見よ、と言われているのです。

     今日のみ言葉は、マタイの福音書に書き記されている「山上の垂訓」とほぼ同じですが、ここでは意味が異なっています。マタイでは、主イエス様を信じる者を、「世の光」としているからです。

    「あかり」とは、イエス様ご自身です。そしてその明かりを世に灯されたのは、父なる神様なのです。
     父なる神様は、イエス様と言う「世の光」を、穴倉や、枡の下に置いたのではありません。すべての人々の目に見えるように、燭台の上に置いたのです。それは、入って来る人々に、その光が見えるためです。

     では、どこに入って来るのでしょうか。それこそが「神の国」なのです。イエス様は、神の国に至る狭い門であり、この真っ暗闇の中に輝いた光であるのです。

     その光であるご自分を見なさい、とイエス様はパリサイ人や律法学者たちに言われるのです。そして、もう一つの意味は、イエス様がなされた数々の奇蹟をも見よと言われるのです。
     なぜなら、その奇蹟こそが、ご自身がメシヤであることを、神の御子であることを証明しているからです。

     どこに、盲人の目を開け、様々な病気を癒やし、また死人を生き返らせるようなお方がいるのでしょうか。

    「私を信じなさい。」と、パリサイ人や律法学者たちに、何度も教えておられるのです。

     旧約聖書を誰よりも熟知し、何時の日にか預言されたメシヤが来られることを、信じ期待し、生きて来た彼らが、目の前に、待望の救い主がおられるのに、なぜ彼らの目にはそれが見えないのでしょうか。

     人が救われることこそ、最大の奇蹟です。あなたの目には、イエス様が見えておられますか。》

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