◇◆◇日々のみ言葉
2017年11月14日(火)
◎聖書箇所 【ルカの福音書14章25節~27節】
14:25 さて、大ぜいの群衆が、イエスと一緒に歩いていたが、イエスは彼らのほうに向いて言われた。
14:26 「私のもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は、私の弟子になることができません。
14:27 自分の十字架を負って私について来ない者は、私の弟子になることはできません。」
◎ショートメッセージ
《イエス様は、以前弟子たちに、ほぼ同じ内容の話をなされました。しかしその時には、ルカが書き記したよりも、綿密に教えられたのです。
なぜなら、これこそが、主イエス様の真の弟子になることの条件だからです。
マタイの福音書によりますと、
『「私が来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。私は、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。
なぜなら、私は人をその父に、娘をその母に、嫁をそのしゅうとめに逆らわせるために来たからです。さらに、家族の者がその人の敵となります。
私よりも父や母を愛する者は、私にふさわしい者ではありません。また、私よりも息子や娘を愛する者は、私にふさわしい者ではありません。自分の十字架を負って私について来ない者は、私にふさわしい者ではありません。
自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、私のために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。」(マタイの福音書10:34~10:39)』となっています。
さて、大勢の群衆がイエス様と一緒に歩いていました。しかしただ一緒に歩くことと、主イエス様と共に歩むことには、大きな違いがあるのです。
ここからイエス様は、ついて来た群衆に対して、物見遊山でいるのか、あるいは真剣に「永遠のいのち」を求めて、ご自分に従って歩んで行くのか、その決断を促しておられるのです。
「救い」に中立の立場はありません。私たちは、選ばなければならないのです。
「永遠のいのち」か、それとも「永遠の滅び」のどちらかを。
多くの人々が、イエス様と一緒に歩いたように、様々な教会に訪れます。ある方は、クリスマスに、イースターに、あるいは特別伝道集会に。
そこで、いつまでも決心を先延ばして、この群衆のように、イエス様の御わざは見たいが、弟子になることは控えよう、とする大勢の人々が存在することも事実なのです。
イエス様の弟子になるには、このように価値観を変えなければならないのです。イエス様は、家族を捨てろとは言ってはおられません。また自分のいのちを粗末にしなさい、とも言ってはおられないのです。
イエス様が言われたことは、「神の国と義とを第一にしなさい。」と言うことなのです。最終的に、救いはその人ひとりのものであり、個人的なことなのです。
私たちは、ひとりで生まれ、そしてひとりで死んで行く者なのです。自分の十字架を背負うと言うことは、まだ救われていない家族からの迫害や、職場での立場を意味しているとも言えるでしょう。》