◇◆◇日々のみ言葉
2017年11月15日(水)
◎聖書箇所 【ルカの福音書14章28節~30節】
14:28「塔を築こうとするとき、まずすわって、完成に十分な金があるかどうか、その費用を計算しない者が、あなたがたのうちにひとりでもあるでしょうか。
14:29 基礎を築いただけで完成できなかったら、見ていた人はみな彼をあざ笑って、
14:30『この人は、建て始めはしたものの、完成できなかった。』と言うでしょう。」
◎ショートメッセージ
《さて大ぜいの群衆が、イエス様と一緒に歩いていました。おそらくイエス様の名声を聞き、またその素晴らしい奇蹟を見たいがために、イエス様に同行していたのかと思われます。
しかし、彼らは、好奇心や物見遊山で、ただイエス様の後について来ただけなのです。
それゆえ、イエス様は、歩く足を留め、彼らのほうに向いて言われたのです。
「私のもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は、私の弟子になることができません。自分の十字架を負って私について来ない者は、私の弟子になることはできません。」
これは、彼らにその立場を明確にするように、決心を促しておられるのです。
キリスト教は宗教ではありません。キリスト教は、天地創造された神様が、人類に与えた唯一の救い主、イエス様を信じて救われよ、言う真理を宣べ伝えているものです。
なぜなら、人は一度死ぬことと、死後、裁きを受けることが定まっているからです。これから逃れ出る者は、誰も、ただひとりもおりません。
たとえその人が、「自分は、イエス・キリストと何の関係もない。」、と言い張っても、すべてこの世に生を受けた者は、「白い御座の裁き」の場に出なければならないのです。
しかもそれは証人席でもなく、傍聴人席でもなく、被告席なのです。そして裁かれるお方は、父なる神様であられます。
しかし主イエス様を信じ受け入れ、そして信仰を保ち続け、イエス様に従い通した者には、弁護人として、弁護人席にイエス様が立たれるのです。
イエス様は、その人の無罪を主張されます。そしてイエス様の流された尊い血潮によって、その人は無罪とされ、釈放され、永遠の御国に入れられるのです。
しかしイエス様を信ぜず、受け入れず、また従うことを拒んだ者には、イエス様は弁護をすることが出来ず、その人は永遠の滅びに至ることになり、火の池に投げ込まれるのです。なぜなら、弁護人としてのイエス様を拒絶したからです。
この「塔」のたとえは、イエス様に出会い信仰を持った人が、最後まで、イエス様を信じ信頼し、従い続けることの大切さを教えています。
せっかく「永遠のいのち」への道を歩み始めたとしても、途中で挫折してしまったとしたら、それはまさしく「塔」を完成することが出来なかったことになってしまうのです。》