• 2017年11月26日礼拝メッセージの概要

    ◇◆◇2017年11月26日第四主日礼拝
    ◎本日の聖書箇所【ヨハネの福音書12章44節~50節】  (新約p.188下段右側)
    12:44 また、イエスは大声で言われた。「私を信じる者は、私ではなく、私を遣わした方を信じるのです。
    12:45 また、私を見る者は、私を遣わした方を見るのです。
    12:46 私は光として世に来ました。私を信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです。
    12:47 だれかが、私の言うことを聞いてそれを守らなくても、私はその人をさばきません。私は世をさばくために来たのではなく、世を救うために来たからです。
    12:48 私を拒み、私の言うことを受け入れない者には、その人をさばくものがあります。私が話したことばが、終わりの日にその人をさばくのです。
    12:49 私は、自分から話したのではありません。私を遣わした父ご自身が、私が何を言い、何を話すべきかをお命じになりました。
    12:50 私は、父の命令が永遠のいのちであることを知っています。それゆえ、私が話していることは、父が私に言われたとおりを、そのままに話しているのです。」

    ◎メッセージの概要 【大声のキリスト】
    《私たちは大声でものを言うことは滅多にありません。大声でものを言うのは、何か緊急の事態が起こったりした場合や、激怒した場合くらいのものです。
     さてイエス様が大声でものを言われたことが、聖書には五回ほど書き記されています。重要な順番であげますと、十字架上において、言われた言葉が「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ。」です。
     そして次にベタニヤのマルタとマリアの弟ラザロを生き返らせる時に言われた言葉、「ラザロよ。出て来なさい。」です。
     またある時、イエス様は仮庵の祭りにエルサレムに上られ、神殿において人々に教えられた二つの言葉があげられます。
    「あなたがたは私を知っており、また、私がどこから来たかも知っています。しかし、私は自分で来たのではありません。私を遣わした方は真実です。あなたがたは、その方を知らないのです。私はその方を知っています。なぜなら、私はその方から出たのであり、その方が私を遣わしたからです。」
     「だれでも渇いているなら、私のもとに来て飲みなさい。私を信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
     どちらも非常に大切な真理を教えています。そして今回学ぶ箇所が、同じく大声を出されて教えられたのです。この教えは、ユダヤの一般の群衆に対して、最後の機会として、また今まで語られた教えの最後のまとめとして、あえて主は大声で語られたのです。
    「私を信じる者は、私ではなく、私を遣わした方を信じるのです。また、私を見る者は、私を遣わした方を見るのです。」
     ここで、イエス様はご自身が神の御子であることを、はっきりと宣言されています。
     使徒ヨハネは、イエス様が十字架にかけられてから約60年から70年後に、第四福音書を執筆しました。そのヨハネによりますと、
    「言葉は人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。」と証しています。
     つまりユダヤ人が信じているヤーヴェなる神様は、御子イエス・キリストによって具現化されたと言うことなのです。神様を見た者は誰もいません。モーゼでさえ、その後ろ姿しか見ることが許されませんでした。父なる神様は、御子イエス様を通してご自身を現わされたのです。それだからこそ、私たちは聖書を通して神様がどんなお方であるのか、知ることが出来るのです。神様イコールイエス様です。
     さて、イエス様は、「私を拒み、私の言うことを受け入れない者には、その人をさばくものがあります。私が話した言葉が、終わりの日にその人をさばくのです。」とも言われました。これは最初は救い主として来られ、「終わりの日」には裁き主として来られることを預言されています。
    「終わりの日」とは、その人に取って、二つあります。一つは、その人の命の終わり、すなわち人生の終わりです。命が尽きる時です。この時、主イエス様の言葉を信じない者は、永遠のいのちではなく、永遠の滅びに向かうことになるのです。残念ながら行き先は深い地の奥底、ゲヘナとなるのです。
    「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように」とヘブル人の手紙の著者が言うように、「白い御座のさばき」があるのです。
     ヨハネの黙示録20章には、最後の白い御座の裁きの様子が詳細に描かれています。
     父なる神様はすべての人が救われ、永遠のいのちを得ることを願っておられます。その為にひとり子イエス様を、この世に遣わし、十字架にかけられたのです。
     イエス様は大声で言われました。ご自身こそが、神様であることを。そしてご自身の言葉こそが、神様の言葉であることを。
    「私は、自分から話したのではありません。私を遣わした父ご自身が、私が何を言い、何を話すべきかをお命じになりました。それゆえ、私が話していることは、父が私に言われたとおりを、そのままに話しているのです。」
     このお方以外に、人間には救い主がおられません。このお方こそが真の神様なのです。》

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