◇◆◇日々のみ言葉
2018年1月4日(木)
◎聖書箇所 【ルカの福音書17章6節】
17:6 しかし主は言われた。「もしあなたがたに、からし種ほどの信仰があったなら、この桑の木に、『根こそぎ海の中に植われ。』と言えば、言いつけどおりになるのです。」
◎ショートメッセージ
《使徒たちは主イエス様にお願いしたのです。
「私たちの信仰を増してください。」と。
これは、「自分に対して罪を犯した兄弟が悔い改めて、謝罪するならば、赦しなさい。」と言うことであり、しかも「自分に対して一日に七度罪を犯しても、『悔い改めます。』と言って七度、謝罪する為に戻って来るならば、赦してやりなさい。」と、主イエス様が言われたことに対して、「とてもそんなことは自分たちには出来ません。それゆえ、そのように出来るようにして欲しいのです。」と言うことなのです。
実際に弟子たちだけではなく、一般的にも、そんなことが出来るはずがありません。一度ならばともかく、それも二度、三度、はたまた七度までも、そんな者を赦せるはずがないからです。
「いい加減にしろ。」と言うわけです。
ここで、イエス様が教えられている真理とは、何なのでしょうか。
それは、「赦しの御わざ」のことの他ありません。罪と咎が赦されることの素晴らしさ、そして罪を赦すことの大切さを教えておられるのです。
もちろん人間の力だけでは出来ません。本来の私たちには、罪を赦す権威はないからです。罪を赦す権威を持っているのは、神様だけだからです。
しかし神様によって罪赦された者は、その恵みと哀れみによって、そして内在される聖霊様の力によって、それを行なうことが出来ると言われるのです。
イエス様のお答えは、弟子たちの意図するものではありませんでした。
弟子たちは、
「兄弟を赦すことが出来るほどの強い信仰を与えて下さい。信仰を増し加えて下さい。」と言う願いでしたが、イエス様のお答えは、「それは、私(主イエス様)側の問題ではなく、あなたがた(弟子たち)側の問題である。」と言ったものだったからです。
「もしあなたがたに、からし種ほどの信仰があったなら、この桑の木に、『根こそぎ海の中に植われ。』と言えば、言いつけどおりになるのです。」
「からし種」とは、まるで粉のようなものです。それほどに小さい種なのです。弟子たちには、そんな目に見えないほどの小さな信仰さえもないことを、イエス様は指摘されているのです。
信仰とは、神様を信じることです。
信仰とは、主イエス様を信じることです。
『信仰は望んでいる事柄を保証し、目に見えないものを確信させるものです。(ヘブル人への手紙11:19 )』
まさしくヘブル人への手紙の著者の言うとおりです。》