◇◆◇日々のみ言葉
2018年1月5日(金)
◎聖書箇所 【ルカの福音書17章7節~10節】
17:7「ところで、あなたがたのだれかに、耕作か羊飼いをするしもべがいるとして、そのしもべが野らから帰って来たとき、『さあ、さあ、ここに来て、食事をしなさい。』としもべに言うでしょうか。
17:8 かえって、『私の食事の用意をし、帯を締めて私の食事が済むまで給仕しなさい。あとで、自分の食事をしなさい。』と言わないでしょうか。
17:9 しもべが言いつけられたことをしたからといって、そのしもべに感謝するでしょうか。
17:10 あなたがたもそのとおりです。自分に言いつけられたことをみな、してしまったら、『私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです。』と言いなさい。」
◎ショートメッセージ
《主イエス様は弟子たちに、ひとつのたとえ話をされました。
イエス様が言われたことは、主人としもべとの関係ですが、当時の世界では奴隷制度がありましたから、彼らは良く知っていました。
これは当時一般に行なわれていた風景だったのです。主イエス様は、奴隷制度肯定主義者であったと言うわけではありません。イエス様は、当時の一般的に行なわれていたことを例として挙げたのであって、そうすることによって、私たちと神様の関係を明確に描いておられるのです。
奴隷は、主人の財産です。よって、あくまでも主人の命令に従い、主人に仕え尽くすのです。
レビ記には、
『あなたのものとなる男女の奴隷は、あなたがたの周囲の国々から男女の奴隷を買い取るのでなければならない。
または、あなたがたのところに居留している異国人の子どもたちのうちから、あるいは、あなたがたの間にいる彼らの家族で、あなたがたの国で生まれた者のうちから買い取ることができる。このような者はあなたがたの所有にできる。
あなたがたは、彼らを後の子孫にゆずりとして与え、永遠の所有として受け継がせることができる。このような者は奴隷とすることができる。しかし、あなたがたの兄弟であるイスラエル人は互いに酷使し合ってはならない。(レビ記25:44~25:46)』と、書かれています。
つまりユダヤ人が奴隷として所有出来るのは、異国人でなければならなかったのです。同胞のイスラエル人を奴隷として所有することは許されてはいませんでした。
もし在留異国人の奴隷として、同胞イスラエル人がその身を売った場合には、その者の縁戚の者が買い戻さなければならなかったのです。
ここにも、イエス様の十字架による「買い戻し」の布石がなされているのです。
さて、私たちは、救われる前には、この世の神である空中を司る権威者、悪魔の奴隷でした。しかし主イエス様が、十字架上で流された血潮によって、買い戻されたのです。
そして今度は、神様のしもべとなったのです。イエス様が言われている「しもべと主人」の関係も、そのままクリスチャンと神様との関係に置き換えることが出来ます。
神様は、創造主であられ、絶対主権者であられます。そして私たちは被創造物なのです。これこそが、私たち人間と神様との、最も基本的な関係なのです。
私たちは、神様によって悪魔の束縛から自由にされました。そして神様のしもべとなった者なのです。しもべのすることは、主人に喜ばれることです。
私たちは、神様に、主イエス様に喜んでもらうために、生かされているのです。》