◇◆◇日々のみ言葉
2018年1月6日(土)
◎聖書箇所 【ルカの福音書17章11節】
17:11 そのころイエスはエルサレムに上られる途中、サマリヤとガリラヤの境を通られた。
◎ショートメッセージ
《ルカはここからまた、がらりと場面を展開しています。
まずイエス様は、なぜエルサレムに上られようとしておられたのでしょうか。いよいよ公生涯における最後(四回目)の「過越の祭」に巡礼するためなのです。
その時に「過越の小羊」として、十字架にかけられます。
イエス様はここまでに、受難予告を三回ほど弟子たちにされて来ました。
一回目は、ピリポ・カイザリヤで、ペテロが「メシヤ告白」をした時、
『「人の子は、必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、そして三日目によみがえらねばならないのです。」(ルカの福音書9:22)』
二回目は、ヘルモン山から下りて来てガリラヤに戻った時、
『彼らがガリラヤに集まっていたとき、イエスは彼らに言われた。「人の子は、いまに人々の手に渡されます。そして彼らに殺されるが、三日目によみがえります。」すると、彼らは非常に悲しんだ。(マタイの福音書17:22~17:23)』
そして三回目は、最後の過越の祭に上って行く道すがら、十二使徒たちを呼び寄せて言われた時、
『さて、イエスは、エルサレムに上ろうとしておられたが、十二弟子だけを呼んで、道々彼らに話された。
「さあ、これから、私たちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは人の子を死刑に定めます。そして、あざけり、むち打ち、十字架につけるため、異邦人に引き渡します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」(マタイの福音書20:17~20:19)』
特に三回目においては、ご自身が十字架刑になることを予言されています。しかし三日目によみがえることは、すべての受難予告において予言されているのです。
それにも関わらず、弟子たちは、主イエス様の復活を、すぐには信じることが出来なかったのです。
さて、この三回目の受難予告をされた時が、この時であったようです。
「その頃イエスはエルサレムに上られる途中、サマリヤとガリラヤの境を通られた。」
なぜこの時、サマリヤとガリラヤの境を通られたのでしょうか。イエス様の気まぐれでしょうか。いいえ、ここで出会うべき者たちがいたのです。
具体的には、どこら辺りを通ったかは分かりませんが、普段ユダヤ人たちが使用する、ガリラヤからエルサレムへの巡礼路ではなかったことは確かです。
そうでなかったら、あえてルカは、このような書き出しをする必要がないからです。
目的があったからこそ、あるいは父なる神様との深い摂理の中にあったからこそ、主イエス様は、あえて故意にその道を通られたのです。回り道されたのです。その理由は、明日、考えて見たいと思います。》