◇◆◇2018年1月14日第二主日礼拝
◎本日の聖書箇所 【使徒の働き27章27節~35節】 (新約p.261下段真中)
27:27 十四日目の夜になって、私たちがアドリヤ海を漂っていると、真夜中ごろ、水夫たちは、どこかの陸地に近づいたように感じた。
27:28 水の深さを測ってみると、四十メートルほどであることがわかった。少し進んでまた測ると、三十メートルほどであった。
27:29 どこかで暗礁に乗り上げはしないかと心配して、ともから四つの錨を投げおろし、夜の明けるのを待った。
27:30 ところが、水夫たちは船から逃げ出そうとして、へさきから錨を降ろすように見せかけて、小舟を海に降ろしていたので、
27:31 パウロは百人隊長や兵士たちに、「あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたも助かりません。」と言った。
27:32 そこで兵士たちは、小舟の綱を断ち切って、そのまま流れ去るのに任せた。
27:33 ついに夜の明けかけたころ、パウロは、一同に食事をとることを勧めて、こう言った。「あなたがたは待ちに待って、きょうまで何も食べずに過ごして、十四日になります。
27:34 ですから、私はあなたがたに、食事をとることを勧めます。これであなたがたは助かることになるのです。あなたがたの頭から髪一筋も失われることはありません。」
27:35 こう言って彼はパンを取り、一同の前で神に感謝をささげてから、それを裂いて食べ始めた。
◎メッセージの概要 【元気を出しなさい(パートⅡ)】
《2018年の聖句は、使徒の働き27:22節から、「しかし今、お勧めします。元気を出しなさい」です。
今日は「元気を出しなさい。(パートⅡ)」と言うことでお話します。
まず船には、パウロとルカとアリスタルコを含めて276人が乗っていました。とするならば、それなりの大きな船であったことは間違いないでしょう。
しかし15・16世紀の大航海時代の帆船ほどに、完成されていたものではありませんでした。なぜなら風に逆らって進むことはまだ出来ませんでした。
パウロを護送する一行は、ルキヤのミラと言う所で、イタリア行きのアレキサンドリア船に乗り換えたのです。そして良い港と呼ばれているラサヤの港から、冬を過ごすのには適していたクレテの港ピクニスへむけて出航しました。すると船は、ユーラクロンの嵐に遭い、それから太陽も星も見えない日が幾日も続き、激しい暴風が吹きまくるなか、ついに乗船していた全員が、絶望の淵に立たされたのです。
その時パウロは、275人に向かって御使いから授かった「神様の言葉」を伝えたのです。
「しかし、今、お勧めします。元気を出しなさい。あなたがたのうち、命を失う者はひとりもありません。失われるのは船だけです。昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、こう言いました。
『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。』ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます。」と。
この言葉を聞いた275人は、まことに力をいただいたのです。一人一人の心の中に「希望の灯」が灯されたのです。まさしくイエス様が言われたように。
『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉による。』
神様は、船に乗っている276人全員に、「命のみ言葉」をお与えになられました。御使いによってパウロに直接に、そしてパウロによって、ローマ百人隊長ユリアスを含め、残りの275名全員に、み言葉が語られたことになるのです。
次にパウロがしたことは、14日間の間、何も口にしていない乗船者に向けて、肉の糧である食事を取ることを勧めたことでした。
パウロは、すでにマルコの福音書とマタイの福音書の存在を知っていたと思われます。パウロに同行していた医者ルカは、ローマにおいて「福音書」と、その続編となる「使徒の働き」を執筆することになります。
さて、すでに二つの共観福音書の内容を知っていたパウロは、主イエス様の「五千人の給食」の奇蹟をも、知っていた可能性は十二分に考えられます。
船は相変わらず、風雨の中を上下左右に、まるで水に浮かぶ木の葉のごとく翻弄されていますし、もはや火を起こして料理や食事を用意することは難しく、またこれほどの暴風雨に見舞われていたら、すべての食料は、水浸しであって、とても口に出来るものではありませんでした。
また船を軽くするために、多くの荷物を海に投げ捨てていましたから、276人全員を満腹にする量の食料は、すでに乏しくなっていたかと思われるのです。
そこでパウロがしたことは、イエス様がなされた「五千人の給食」の奇蹟のパウロ版なのです。イエス様は、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて祝福を求め、パンを裂き、人々に配るように弟子たちに命じました。人々は、みな食べて満足した、と書かれています。
この時にも、パウロはパンを取り、一同の前で神に感謝をささげてから、それを裂いて、私たち(他の者)にも分け与えて、食べ始めたのです。
そこで、「一同が元気づけられ、 船にいた276人は十分食べた。」と書かれています。神様は、まず「み言葉」をお与えになられ、そして次に「肉の糧」をお与えになられるのです。 なぜなら、『人はパンのみで生きるにあらず。』なのですから。み言葉によって、魂と霊が元気づけられ、次に体に必要な物が十分に与えられるのです。
神の人であるクリスチャンは、人を元気にする為に存在するのです。人を生かす為に存在するのです。その人を通して、神様は上から無尽蔵の力と祝福をお与えになられます。
聖書には書かれてはいませんが、パウロがパンを裂いて人々に分け与える時に、弟子である医者ルカとアリスタルコは、「五千人の給食」の時の十二弟子のように、パウロから受け取って人々に配ったのではないのでしょうか。
この出来事を通して、ルカの信仰は格段に成長したはずです。だからこそ、ルカの福音書と、その続編である使徒の働きを執筆することが出来たのです。
「元気を出しなさい。」この時、一番元気であったのがパウロであることは言うまでもありません。しかし、もし御使いが彼に現われなかったとしたら、こんなに元気でいることが出来たのでしょうか。答えは否です。あなたの元気の源は、日々における神様との親しい交わりにかかっているからです。》