• 日々のみ言葉 2018年1月15日(月)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2018年1月15日(月)

    ◎聖書箇所 【ルカの福音書17章24節】
    17:24「いなずまが、ひらめいて、天の端から天の端へと輝くように、人の子は、人の子の日には、ちょうどそのようであるからです。」

    ◎ショートメッセージ
    《引き続き、イエス様が弟子たちに話されたことから考えて見たいと思います。
     ここでイエス様は、今まで三年半年における公生涯において、弟子たちに教えられたことを、もう一度おさらいをしている様に思えます。

    「人の子の日を一日でも見たいと願っても、見られない時が来ます。人々が『こちらだ。』とか、『あちらだ。』とか言っても行ってはなりません。あとを追いかけてはなりません。」

     この短い言葉の中にも、多くの預言が隠されています。そして次に言われたことが、今日の聖書箇所です。これはまさしく、主の再臨の時の預言となります。

     私たちには、すでに新約聖書が手元にありますが、この時には、まだ新約聖書の影すらありませんでした。
     しかし旧約聖書のゼカリヤ書には、「主の日(人の子の日)」について詳しく書かれています。

     ゼカリヤ書によりますと、
    『見よ。主の日が来る。その日、あなたから分捕った物が、あなたの中で分けられる。
    私は、すべての国々を集めて、エルサレムを攻めさせる。町は取られ、家々は略奪され、婦女は犯される。町の半分は捕囚となって出て行く。しかし、残りの民は町から断ち滅ぼされない。
     主が出て来られる。決戦の日に戦うように、それらの国々と戦われる。その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。オリーブ山は、その真中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる。山の半分は北へ移り、他の半分は南へ移る。
     山々の谷がアツァルにまで達するので、あなたがたは、私の山々の谷に逃げよう。ユダの王ウジヤの時、地震を避けて逃げたように、あなたがたは逃げよう。私の神、主が来られる。すべての聖徒たちも主とともに来る。
     その日には、光も、寒さも、霜もなくなる。
     これはただ一つの日であって、これは主に知られている。昼も夜もない。夕暮れ時に、光がある。
     その日には、エルサレムから湧き水が流れ出て、その半分は東の海に、他の半分は西の海に流れ、夏にも冬にも、それは流れる。
     主は地のすべての王となられる。その日には、主はただひとり、御名もただ一つとなる。(ゼカリヤ書14:1 ~14:9)』と書かれています。

     ここに書かれている「主」とは、イエス様のことです。なぜならオリーブ山において、主イエス様は昇天され、再び同じ場所に降り立つことになるからです。

     使徒の働きには、
    『イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。
     すると見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らの側に立っていた。そして、こう言った。
    「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」
     そこで、彼らはオリーブという山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムの近くにあって、安息日の道のりほどの距離であった。(使徒の働き1:9~ 1:12)』と書かれています。

    「主の日」とは、「イエス様の再臨」のことなのです。そして私たちは、そのすぐ直前の時代に生かされていることになります。

     御霊も言う。「主イエスよ。来たりませ。」》

Comments are closed.