◇◆◇日々のみ言葉
2018年1月29日(月)
◎聖書箇所 【ルカの福音書18章13節】
18:13「ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんで下さい。』」
◎ショートメッセージ
《主イエス様の十二使徒の中には、二人の取税人がいました。アルパヨの子レビ、そしてその弟ヤコブです。前にも書きましたが、このイエス様のたとえ話を聞いて、この取税人と自分自身を重ね合わせ、心を打たれ、涙を流し、癒やされたと私は思うのです。
はっきり申し上げます。
取税人が悔い改めることなど考えられないのです。まことの救い主であるお方、主イエス様にお会いしなければ。
この取税人は、自分が罪人であることを知っています。罪が分かっているのです。
当時のローマ帝国は、植民地の徴税に対し、その国の同じ民の中から、その職を委嘱したのです。
もちろん取税人が手に取ることが出来る手数料は、決められていました。しかし、それはあくまで形だけのものであって、実際には徴税の何倍もの手数料を要求し、私腹を肥やしていたのです。
もしある町のある取税人が、自分だけ正しいことをしようとして、ローマ帝国によって定められた手数料だけを徴収したとしたら、他の取税人から袋だたきにあわされてしまうことでしょう。
よって取税人たちは、二倍もしくは四倍の手数料を徴収することを、暗黙の了解としていた、とも考えられるのです。
彼らは、大金持ちでした。しかも人々から不正に集めたお金によって。それゆえ、彼らは、同胞ユダヤ人から犬と同じ扱いを受け、またユダヤ人の会堂には入ることも、集会に参加することも許されなかったのです。会堂管理人は、いつも目を光らせていたのです。
彼らを見る人々の目は、軽蔑と憎しみに満ちているものばかりでした。当然です。だまし取っている者であり、盗人だからです。
しかし、主イエス様だけは、違っていました。
レビも、また兄レビによって、イエス様を紹介された弟ヤコブも、そしてザアカイも、赦しと慈愛に満ちた優しい眼差しを、生まれて初めて向けられたのです。
「神さま。こんな罪人の私をあわれんで下さい。」
この祈りの言葉は、レビ、ヤコブ、ザアカイの心そのものであったことでしょう。
罪が分からなければ、十字架の赦しも分かりません。罪が分からなければ、救い主、イエス様の素晴らしさ、ありがたさも分からないのです。》