• 日々のみ言葉 2018年2月1日(木)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2018年2月1日(木)

    ◎聖書箇所 【ルカの福音書18章15節~17節】
    18:15 イエスにさわっていただこうとして、人々がその幼子たちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちがそれを見てしかった。
    18:16 しかしイエスは、幼子たちを呼び寄せて、こう言われた。「子どもたちを私のところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。
    18:17 まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」

    ◎ショートメッセージ
    《この記事は、他の共観福音書にも掲載されています。三つの記事を比較しながら、考えたいと思います。

     マタイの福音書は、
    『そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、子どもたちが連れて来られた。ところが、弟子たちは彼らをしかった。
    しかし、イエスは言われた。
    「子どもたちを許してやりなさい。邪魔をしないで私のところに来させなさい。天の御国はこのような者たちの国なのです。」
    そして、手を彼らの上に置いてから、そこを去って行かれた。(マタイの福音書19:13~19:15)』となっており、

     マルコの福音書は、
    『さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちは彼らをしかった。
     イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。
    「子どもたちを、私のところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」
     そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。(マルコの福音書10:13~10:16)』となっています。

     ルカは省略していますが、マタイとマルコは、イエス様が子どもたちを抱き、子どもたちの上に手を置いて祝福されたことを、書き記しています。

     当時のユダヤにおいて、幼子とは生まれてから八日目を迎えた赤子から、一歳未満の子どもを指していました。それゆえ人々が、特に母親たちが、自分の子どもを抱いて、主イエス様の御もとに連れて来たことは、ユダヤの慣習に従ったことでした。

     イエス様が、その幼子を祝福されるには、ひとりひとり、母親から幼子を手渡され、抱きながら、右手を置かれて祝福されたと思うのです。
     ある子どもは抱き、またある子どもは、母親の腕の中に抱かれたまま、と区別をつけられたとは思えないのです。

     小さな子どもであっても、イエス様には、そのひとりひとりが、大切な魂、かけがえのない存在だからです。
     もちろん彼らの為にも、十字架にかけられるのです。

     幼子は、両親に、特に母親に対して、絶対的な信頼を寄せています。そうでなければ生きて行くことは出来ないのです。死んでしまいます。

     そのような幼子の信仰、すなわち神様に全面的に信頼し信じる信仰を持つ者こそが、神の御国に相応しい者であると、イエス様は教えておられるのです。》

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