◇◆◇日々のみ言葉
2018年2月9日(金)
◎聖書箇所 【ルカの福音書18章31節~33節】
18:31 さてイエスは、十二弟子をそばに呼んで、彼らに話された。「さあ、これから、私たちはエルサレムに向かって行きます。人の子について預言者たちが書いているすべてのことが実現されるのです。
18:32 人の子は異邦人に引き渡され、そして彼らにあざけられ、はずかしめられ、つばきをかけられます。
18:33 彼らは人の子をむちで打ってから殺します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ聖書箇所からの学びとなります。、
マルコの福音書の平行記事によりますと、
『さて、一行は、エルサレムに上る途中にあった。イエスは先頭に立って歩いて行かれた。弟子たちは驚き、また、あとについて行く者たちは恐れを覚えた。するとイエスは再び十二弟子をそばに呼んで、ご自分に起ころうとしていることを、話し始められた。
「さあ、これから、私たちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。
彼らは、人の子を死刑に定め、そして、異邦人に引き渡します。すると彼らはあざけり、つばきをかけ、むち打ち、ついに殺します。しかし、人の子は三日の後に、よみがえります。」(マルコの福音書10:32~10:34)』と書かれています。
そしてマタイの福音書は、
『さて、イエスは、エルサレムに上ろうとしておられたが、十二弟子だけを呼んで、道々彼らに話された。
「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは人の子を死刑に定めます。
そして、あざけり、むち打ち、十字架につけるため、異邦人に引き渡します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」(マタイの福音書20:17~20:19)』となっています。
つまり、三つの共観福音書の平行記事を並べて見ますと、イエス様の言われた言葉に若干の違いがあることが分かります。
実は、ルカだけに、特別の言葉が使われているのです。それは、「はずかしめられ」と言う言葉です。
実はこの言葉は、新約聖書ではあまり用いられていない言葉で、元来は「思い上がる」ことを意味していました。
つまり、人間が神様に対して「思い上がる」ことを意味しているのです。過去において、ユダヤ人は、神様から遣わされた多くの預言者を迫害して来ました。
それこそが、まさに人間が神様に対して、思い上がっている証拠であると言えます。
イエス様は、私たちと同じ人間の姿を取られましたが、その肉体の中に住んでおられたのは、まさに創造主なる神様であられたのです。
その神様に対し、選民ユダヤ人から、辱めを受けることになるのです。
それは、使徒ヨハネが、その福音書に書き記した通りなのです。
『この方はご自分の国に来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。(ヨハネの福音書1:11)』
しかし、この方を受け入れる者は、誰であっても、罪が赦され、永遠の命をいただけるのです。》