◇◆◇日々のみ言葉
2018年2月21日(水)
◎聖書箇所 【ルカの福音書19章6節~7節】
19:6 ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。
19:7これを見て、みなは、「あの方は罪人のところに行って客となられた。」と言ってつぶやいた。
◎ショートメッセージ
《引き続きザアカイの物語です。
もっとも物語と言いましても、空想話ではありません。実際に実在した人物の話です。
イエス様は、いちじく桑の木の側を通り過ぎようとされた時、上を見上げて彼に言われました。
「ザアカイ。急いで降りて来なさい。今日は、あなたの家に泊まることにしてあるから。」
考えても見て下さい。
まだ会ったことのない人物が、しかもその当時の世界において、一躍、時の人となられた有名な人物が、自分の方を振り向いて、自分の名前を呼んだのですから。
そればかりではありません。
この時のイエス様のお顔は、どんなお顔であったのか想像して見てほしいのです。
聖書には書かれていませんが、私は、イエス様は満顔の笑顔で、目をくるくるされてザアカイを見詰められたと思うのです。
「何だ。ザアカイ。そんな高い木の上に登ったりして。面白いなあ。」と言った感じで。
イエス様の言葉と、その笑顔が、ザアカイの心の傷をいやし、救いに導いたのです。
ザアカイは急いで、いちじく桑の木から降りると、大喜びでイエス様の前に立ち、何度も何度もお辞儀をして、自分の家へと案内したのでした。
それを見ていた群衆の人々は面白くありません。
「あの方は罪人のところに行って客となられた。」と言ってつぶやいたのです。
特に一番怒りを覚えていたのが、イエス様が公生涯を始められてから、いつも付きまとっていたパリサイ人や律法学者たちです。彼らは、遊女や取税人たちを、絶対に自分たちとは関わることの出来ない罪人であると考えていたからです。
なぜなら、自分たちこそが、神の御前において正しく清い者であると自負していたからです。
自分が正しい。自分に正義がある。
あるいは自分の教団、教派が正しい、と思うことこそ、罪なのです。正しいお方はイエス様おひとりであられます。
つまり、自分が正しいと思う人は、その他の人々は正しくない、その他の人々は間違っていると、裁いていることになるのです。
使徒パウロは勧めています。
『ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。(第Ⅰコリント人への手紙4:5)』と。》