• 2018年4月1日イースター礼拝メッセージの概要

    ◇◆◇2018年4月1日イースター礼拝
    ◎本日の聖書箇所 【マタイの福音書27章62節~28章4節】 (新約p.56下段左側)
    27:62 さて、次の日、すなわち備えの日の翌日、祭司長、パリサイ人たちはピラトの所に集まって、
    27:63 こう言った。「閣下。あの、人をだます男がまだ生きていたとき、『自分は三日の後によみがえる。』と言っていたのを思い出しました。
    27:64 ですから、三日目まで墓の番をするように命じてください。そうでないと、弟子たちが来て、彼を盗み出して、『死人の中からよみがえった。』と民衆に言うかもしれません。そうなると、この惑わしのほうが、前のばあいより、もっとひどいことになります。」
    27:65 ピラトは「番兵を出してやるから、行ってできるだけの番をさせるがよい。」と彼らに言った。
    27:66 そこで、彼らは行って、石に封印をし、番兵が墓の番をした。
    28:1 さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと、ほかのマリヤが墓を見に来た。
    28:2 すると、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがして、その上にすわったからである。
    28:3 その顔は、いなずまのように輝き、その衣は雪のように白かった。
    28:4 番兵たちは、御使いを見て恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。

    ◎メッセージの概要 【番兵が体験したこととは?】
    《聖書は不思議な真実を記録しています。イエス様が埋葬されたのは、使徒ヨハネが19章に書いています「大いなる日」と呼ばれた過越の祭が始まる安息日のことでした。
     安息日に入ったのなら、誰も家の外に出ることは控えるものです。つまりこの日には、安息日の道程(2,000キュビト900メートル)しか歩いてはならないのですが、『次の日すなわち備えの日の翌日(安息日)』に祭司長、パリサイ人たちはピラトの所に集まります。
     これこそ律法違反の何ものでもありません。彼らは人々に律法を厳格に守るように教えながらも、自分たちは平気で破るのです。そしてピラトにローマ兵の見張りを要求します。
     さて、イエス様が十字架にかけられる時、ローマ総督ピラトは、イエス様を官邸の中に連れて行って、イエス様の回りに全部隊を集めたのです。この時、近隣の多くの部隊を応援に来させていますが、イエス様の十字架刑を執行し、その見張りをしたのは、ピラトの率いる百人隊であり、百人隊長です。その百人隊長はかつて息子同様の僕を癒やされた者と同一視する学者が多くいます。
     イエス様と二人の強盗の十字架刑には、その部隊全員がほぼ制圧に当たったと思われます。なぜなら数万人のユダヤの人々がそこに駆けつけて来たからです。
     使徒マタイは、イエス様が十字架上で息を引き取られた時に、その百人隊長および彼と一緒にイエスの見張りをしていた人々は、地震やいろいろの出来事を見て、非常な恐れを感じ、「この方はまことに神の子であった。」と言ったことを書き記しています。
     と言うことは、この中にやがて救われ、信者となった兵士がいると言う証拠の何ものでもありません。
     さてピラトは、ユダヤ議会の要望に応えます。そして同じく百人隊長と兵士たちを、イエス様が葬られた墓の見張りに向かわせます。まず彼らのしたことはローマ式封印であり、もちろん百人隊長の監督のもとにそれを行なったことは間違い有りません。ある映画ではロープによって封印しますが、本来は鉄製の鎖が用いられます。よってイエス様の弟子である女性たちには、墓の石のふたを取り除けることは絶対に出来ませんし、またローマ式封印を破る者は、誰であっても死罪が適応されるのです。
     さて、墓の石のふたの封印が終わると、ローマ兵は見張りに着きます。このローマ兵たちは、ゲッセマネの園におけるイエス様の捕縛の時からずーっと寝ずに勤務していたはずです。おそらく焚き火をしていたと思われます。なぜなら辺りは真っ暗闇ですから。
     元来見張りは四人一組であり、普通二人ずつ交代して休みます。マタイは、三日目の朝早くに起こった出来事を書き記していますが、実際にその場面を見た四人の兵士は、すぐに起こった事実を、ありのままに祭司長たちに報告します。
     なぜピラトではないのでしょうか。ピラトに報告したのなら、処罰される恐れがあったからです。ユダヤ議会は彼らの身柄の安全を保証し、大金を与え、にせの噂を流させます。
     ところで、マタイはなぜこのことを知っているのでしょうか。なぜ福音書に書くことが出来たのでしょうか。それはこの中から信者が生まれたからだと言えます。もちろん名前は伏せられていますが。
     さてヨッパにローマ人のイタリヤ第二大隊が駐屯していました。その百人隊長コルネリオは、ユダヤ教に改宗してはいませんでしたが、まことの神様の熱心な信者でした。なぜこの者が信仰を持ったのでしょうか。この時には、イエス様がオリーブ山において昇天されて、すでに十数年が経っていたはずです。考えられる可能性は、その時に彼も応援にエルサレムに赴いていたからです。使徒ペテロは、彼にはっきりと言っています。
    「あなたがたは、ヨハネが宣べ伝えたバプテスマの後、ガリラヤから始まって、ユダヤ全土に起こった事がらを、よくご存じです。それは、ナザレのイエスのことです。人々はこの方を木にかけて殺しました。しかし、神はこのイエスを三日目によみがえらせ、現われさせてくださいました。」
     この言葉から、コルネリオがイエス様のことについて、そしてエルサレムに何が起こったのか知っていることは間違いありません。このコルネリオが、なぜメシヤ信仰を持ったのか、その詳細については、ルカは沈黙しています。本当のことは分かりません。
     しかし、イエス様の復活の場面を最初に目撃したのは、ローマ兵の見張りたちなのです。彼らは御使いを見ています。そして七人がかりでなければ動かせない墓石(伝承では200キロ)が、木の葉のようにころがり、縦と横に十字に釘付けされた鉄製の鎖が引きちぎれるのを目撃しているのです。彼らこそが生き証人です。彼らの中に、やがて主イエス様を受け入れ信じる者が起こされたのでなければ、マタイは書き記すことが出来なかったはずです。
     イエス様は、本当によみがえられました。そのよみがえる場面を見た者は誰もいません。ただイエス様に巻かれた布が、まるで中身のイエス様の遺体が、溶けてなくなってしまったかのように、消え失せてしまい、そのまま残っているだけなのです。使徒ヨハネはそれを見て信じます。
     ゲッセマネの園におけるイエス様の捕縛からから、葬られた墓の見張りまで、全部を行なったローマ兵が存在すると私は信じます。そのローマ兵の為にもイエス様は、十字架にかかって下さったのです。そして三日目によみがえられたのです。イースター。おめでとう。》

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