◇◆◇日々のみ言葉
2018年5月1日(火)
◎聖書箇所【ルカの福音書22章8節~13節】
22:8 イエスは、こう言ってペテロとヨハネを遣わされた。「私たちの過越の食事ができるように、準備をしに行きなさい。」
22:9 彼らはイエスに言った。「どこに準備しましょうか。」
22:10 イエスは言われた。「町にはいると、水がめを運んでいる男に会うから、その人がはいる家までついて行きなさい。
22:11 そして、その家の主人に、『弟子たちと一緒に過越の食事をする客間はどこか、と先生があなたに言っておられる。』と言いなさい。
22:12 すると主人は、席が整っている二階の大広間を見せてくれます。そこで準備をしなさい。」
22:13 彼らが出かけて見ると、イエスの言われたとおりであった。それで、彼らは過越の食事の用意をした。
◎ショートメッセージ
《ルカは、「過越の小羊のほふられる、種なしパンの日が来た。」と書いています。
つまり、過越の祭の第一日が来たことを述べています。その日に過越の小羊が第一の夕方(午後3時)から、第二の夕方(午後6時)までの間に屠られるのです。そしてユダヤ暦では、次の日となる午後6時から、「過越の食事」を取り、皆で祝います。
イエス様は、ペテロとヨハネの二人の使徒を遣わされます。この時には、イエス様の一行は、エルサレム市外にいることになります。どこにいるのか推測しますと、一番可能性が高い場所が、オリーブ山にあるゲッセマネの園ではないでしょうか。
この記事は、マタイの福音書とマルコの福音書にも平行記事として記載されています。今日は、三つの共観福音書の記事を比較して見たいと思います。
マタイの福音書では、
『さて、種なしパンの祝いの第一日に、弟子たちがイエスのところに来て言った。「過越の食事をなさるのに、私たちはどこで用意をしましょうか。」
イエスは言われた。「都にはいって、これこれの人のところに行って、『先生が「私の時が近づいた。私の弟子たちと一緒に、あなたのところで過越を守ろう。」と言っておられる。』と言いなさい。」
そこで、弟子たちはイエスに言いつけられたとおりにして、過越の食事の用意をした。(マタイの福音書26:17~26:19)』
マルコの福音書では、
『 種なしパンの祝いの第一日、すなわち、過越の小羊をほふる日に、弟子たちはイエスに言った。「過越の食事をなさるのに、私たちは、どこへ行って用意をしましょうか。」
そこで、イエスは、弟子のうちふたりを送って、こう言われた。「都にはいりなさい。そうすれば、水がめを運んでいる男に会うから、その人について行きなさい。
そして、その人がはいって行く家の主人に、『弟子たちと一緒に過越の食事をする、私の客間はどこか、と先生が言っておられる。』と言いなさい。
するとその主人が自分で、席が整って用意のできた二階の広間を見せてくれます。そこで私たちのために用意をしなさい。」(マルコの福音書14:12~14:15)』
こうして三つの共観福音書の平行記事を並べて見ますと、かなりの相違点があることに気付かされるのです。なぜこのように違っているのでしょうか。それは目線が違うからです。その出来事を見る人の目の角度が違うからです。
例えば、マタイが「これこれの人のところ」と書いていますが、それはルカとマルコに書かれています「都に入ると水がめを運んでいる男に会う。その男について行き、その男が入って行く家の主人のところ」、となるわけです。
日本語訳は曖昧であって、「これこれの人のところ」だけですと、最初の「これ」は名字、次の「これ」は名前と誤解し兼ねる場合があるのです。例えば、「ペテロの姑のところ」とかです。
明日も同じ箇所から考えたいと思います。》