• 日々のみ言葉 2018年5月2日(水)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2018年5月2日(水)

    ◎聖書箇所【ルカの福音書22章8節~13節】
    22:8 イエスは、こう言ってペテロとヨハネを遣わされた。「私たちの過越の食事ができるように、準備をしに行きなさい。」
    22:9 彼らはイエスに言った。「どこに準備しましょうか。」
    22:10 イエスは言われた。「町にはいると、水がめを運んでいる男に会うから、その人がはいる家までついて行きなさい。
    22:11 そして、その家の主人に、『弟子たちと一緒に過越の食事をする客間はどこか、と先生があなたに言っておられる。』と言いなさい。
    22:12 すると主人は、席が整っている二階の大広間を見せてくれます。そこで準備をしなさい。」
    22:13 彼らが出かけて見ると、イエスの言われたとおりであった。それで、彼らは過越の食事の用意をした。

    ◎ショートメッセージ
    《昨日と同じ箇所からの学びとなります。
     昨日は、マタイの福音書とマルコの福音書に記載されている平行記事を比較して見ました。
     多少の相違点があるのは、福音記者の目線の角度の違いから起こることであって、実際には一つの出来事を描写したことが分かります。どの福音書が間違っていて、どの福音書が正しいと言うのでなく、まさしくすべてが真実なのです。
     私の師である尾山令仁先生は、福音書に書かれたことは、多少の違いがあるからこそ、すべてが真実であると言える、と言われました。
     たとえば、人の顔を例にたとえますと、前から見た時、真横から見た時、そして後ろから見た時では、その人の顔は違って見えます。しかし、どの顔もその人なのです。
     イエス様は本当に生きておられました。イエス様が直に話された言葉も、聞いた弟子たち、あるいは福音記者の位置によって、多少は違って聞こえたりするものです。また聞く側の心の状態によっては、イエス様の語られた言葉のいずれかの言葉が強調されて聞こえたりするものなのです。

     聖書は誤り無き「神様の言葉」です。

     さて、マタイとマルコの福音書では、「二人の弟子」と書かれていますが、ルカは、はっきりと、その二人はペテロとヨハネであったことを書き記しています。

     これは偶然でしょうか。
     いいえ。イエス様は、公生涯の最初の方で、弟子たちを二人ずつ組み合わせて、合計6組のチームを、ユダヤの町々に派遣されたことがあります。

     マルコの福音書に、
    『また、十二弟子を呼び、ふたりずつ遣わし始め、彼らに汚れた霊を追い出す権威をお与えになった。(マルコの福音書6:7)』と書かれています。

     この時から、ペテロとヨハネがチームを組んでいたと、考えられないでしょうか。十二使徒の中で一番若いのがヨハネであることは疑いのないことです。
     そして明確ではありませんが、シモン・ペテロが一番年上ではなかったのではないでしょうか。
     イエス様は、やがて真のリーダーとなるペテロと、一番若いヨハネを、あえてチームに任命されたのではないでしょうか。

     ゲッセマネの園においてイエス様が捕らえられた時に、弟子たちは二つに分かれてしまいます。しかしペテロはヨハネと行動を共にするのです。

     もう一つ、その確たる証拠があります。

     使徒の働きには、
    『ペテロとヨハネは午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。(使徒の働き3:1)』
    、と書かれています。

     この後、「美しの門」で物乞いをしていた、生まれつき足のきかない人を、主の御名によっていやし、この二人は議会に捕らえられることになります。

     イエス様が、この二人をエルサレムに遣わされたことは、真に神様の摂理の中にあることではないでしょうか。
     明日も同じ箇所から考えて見たいと思います。》

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