• 2018年5月20日礼拝メッセージの概要

    ◇◆◇2018年5月20日第三主日ペンテコステ礼拝
    ◎本日の聖書箇所 【ヨハネの福音書14章15節~17節】 (新約p.208上段真中)
    1:4 彼らと一緒にいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、私から聞いた父の約束を待ちなさい。
    1:5 ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」

    ◎メッセージの概要 【聖霊のバプテスマ】
    《今日はペンテコステの日です。五旬節です。これもユダヤの祭りの一つであって、過越の祭から五十日目である所からこのように言います。
     イエス様が三日目によみがえられてから四十日間、ご自身が生きておられることを弟子たちや多くの人々に示されました。そしてオリーブ山から昇天されてから十日後のことです。この日に、聖霊が降られたのです。
     イエス様は、オリーブ山への道程において、十一使徒にこのように言われました。
    「エルサレムを離れないで、私から聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」
     この約束が成就するまで、弟子たちは何日間が必要であったのか分かりませんでした。ここでイエス様は、あえてバプテスマのヨハネのことを言われています。
     バプテスマのヨハネは、預言者イザヤが預言したように、「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。』」の声だったのです。
     そして罪が赦されるための悔い改めのバプテスマを説き、ユダヤ全国の人々とエルサレムの全住民が彼の所へ行き、自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けていました。
     シモンの弟アンデレとゼベダイの子ヨハネも、バプテスマのヨハネの弟子でしたので、彼らも悔い改めのバプテスマを受けたことは間違いありませんし、兄シモンも兄ヤコブも他の八人の使徒たちも、ヨハネからバプテスマを受けていた可能性は非常に大きいと思えるのです。
     そのヨハネは預言します。
    「私よりもさらに力のある方が、あとからおいでになります。私には、かがんでその方のくつのひもを解く値うちもありません。私はあなたがたに水でバプテスマを授けましたが、その方は、あなたがたに聖霊のバプテスマをお授けになります。」
     この言葉をその時、ヨハネの弟子であったアンデレもゼベダイの子ヨハネも聞いています。イエス様が言われた今日の箇所のみ言葉は、ヨハネの預言を確約するものであり、また二人の弟子への真の確認でもあるのです。
     さて、旧約時代にも、聖霊様はおられ、確かに働いていました。しかしまだ内住はされていなかったのです。
     イエス様は十二使徒たちにも聖霊をお与えになられました。彼らは聖霊様の力と主イエス様の御名によって、病をいやし、悪霊を追い出したのです。
     しかし彼らの心が主イエス様から離れた時に聖霊は去って行かれたのです。もし去って行かなければ、イスカリオテのユダにどうして悪魔が入ることが出来たのでしょうか。
     イスラエルの最初の王サウルがそうであったように。同じように、ゲッセマネにおいて、弟子の皆がイエス様を見捨てて逃げ出した時に、聖霊は彼らから離れたのです。
     それゆえ、よみがえられたイエス様が、中からカギが掛けられていた部屋に現われて、彼らに息を吹きかけて「聖霊を受けなさい。」と言われたのです。
     また、「罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」とも言われました。
     ここで「だれか」とは、イエス様を最初に裏切ったイスカリオテのユダを表わし、また主を見捨てた弟子たちが、互いに裁きあっていたことだと、考えらると思います。
     ここで、イエス様によって、十一人の弟子たち、またそこにいた他の弟子たちも、再び聖霊を受けたのです。しかし、この時にも内住されてはおられなかったのです。
     イエス様のお約束はこうでした。
    「私は父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、共におられるためにです。その方はあなたがたと共に住み、あなたがたのうちにおられるからです。」と。
     そして五旬節の日、イエス様がよみがえらてから五十日目、聖霊様が降られました。そして弟子たちの中に内住され、彼らは聖霊様に満たされ、力を受け、真にイエス様の証人となってわけです。
     聖霊に満たされることと、内住されることとは違います。
     実は二つの考え方があります。一つは、主イエス様を信じる者には、すでに聖霊様が与えられ、内住されていると言う説。
     もう一つは、主イエス様を信じる者には、確かに聖霊様は働かれているが、まだ内住されてはおられず、聖霊のバプテスマを受けることによって、その時初めて内住されると言う説です。
     尾山先生は、最初は前者の説を押し通して来ました。しかしある日、尾山先生は、聖霊体験をしたのです。聖霊のバプテスマを受けられたのです。この時、初めて、二段階あることが分かったそうです。
     私たちは、本当に聖霊様を受ける必要があります。聖霊様のバプテスマを受ける必要があるのです。その時に内住されるのです。
     主イエス様を信じていたとしても、まだ聖霊様を持っていない人がいるのです。預言者アポロがそうであったように。
     最後にパウロは言います。
    「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。ですから、あなたは、私たちの主をあかしすることや、私が主の囚人であることを恥じてはいけません。むしろ、神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください。」
     聖霊様は、私たちが主の証人となることを願っておいでです。この方と共に働く時にこそ、私たちは大きな証をすることが出来るようになるのです。》

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