◇◆◇日々のみ言葉
2018年5月21日(月)
◎聖書箇所【ルカの福音書22章40節~41節】
22:40 いつもの場所に着いたとき、イエスは彼らに、「誘惑に陥らないように祈っていなさい。」と言われた。
22:41 そしてご自分は、弟子たちから石を投げて届くほどの所に離れて、ひざまずいて、こう祈られた。
◎ショートメッセージ
《それからイエス様はヨハネ・マルコの家を出て、いつものようにオリーブ山に行かれました。十一人の弟子たちも従ったとあります。
ここでルカは、イエス様が、「いつもの場所に着いたとき」と書いていますから、ゲッセマネの園において、イエス様が父なる神様に祈りを捧げる場所が決まっていたとも考えられます。ひざまずいて祈りやすい場所があったのかも知れません。
本来ならば、ヨハネ・マルコの家において宿泊させてもらい、過越の祭を、愛する弟子たちと共に、夜を徹して祝ったりすれば良いのでは、と思うのは私だけでしょうか。
いいえ。弟子たちもそう思っていたのではないでしょうか。
あるいは、もう夜も更けたから、ゲッセマネの園を通り過ぎて、ベタニヤにあるマルタ姉妹と弟ラザロの家に行き、今日はもうゆっくり休みましょう、と思ったりしてはいなかったでしょうか。
もし私が弟子の一人であったとしたら、そう思います。
イエス様は、なぜヨハネ・マルコの家を出たのでしょうか。
やがてそこには、ローマ兵とユダヤの長老たちを引き連れて、イスカリオテのユダが戻って来るからです。
また、なぜベタニヤには行かなかったのでしょうか。過越の祭りの六日前に、ベタニヤにイエス様一行が来たことを、ヨハネは書き記しています。
『イエスは過越の祭りの六日前にベタニヤに来られた。そこには、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロがいた。(ヨハネの福音書12:1)』
またマタイは、エルサレム入場の後、ベタニヤに戻り宿泊されたことを書き記しています。
『イエスは彼らをあとに残し、都を出てベタニヤに行き、そこに泊まられた。(マタイの福音書21:17)』
イスカリオテのユダは、ヨハネ・マルコの家にイエス様がいないことを確認すると、ベタニヤに向かったはずです。
ベタニヤへの道程の途中にゲッセマネがあるのです。そこで、イエス様を発見すると言うわけです。
もしイエス様一行がベタニヤに行っていたらどうなっていたでしょうか。間違いなくラザロは捕らえられたに違いありません。
なぜならサンヘドリンは、ラザロをも殺そうとしていたからです。
『大ぜいのユダヤ人の群れが、イエスがそこにおられることを聞いて、やって来た。それはただイエスのためだけではなく、イエスによって死人の中からよみがえったラザロを見るためでもあった。祭司長たちはラザロも殺そうと相談した。それは、彼のために多くのユダヤ人が去って行き、イエスを信じるようになったからである。(ヨハネの福音書12:9 ~12:11)』
父なる神様は、ゲッセマネの園こそが、イエス様が引き渡される場所として、決めておられたのです。明日も同じ箇所から学びたいと思います。》