◇◆◇日々のみ言葉
2018年6月12日(火)
◎聖書箇所【ルカの福音書23章13節~16節】
23:13 ピラトは祭司長たちと指導者たちと民衆とを呼び集め、
23:14 こう言った。「あなたがたは、この人を、民衆を惑わす者として、私のところに連れて来たけれども、私があなたがたの前で取り調べたところ、あなたがたが訴えているような罪は別に何も見つかりません。
23:15 ヘロデとても同じです。彼は私たちにこの人を送り返しました。見なさい。この人は、死罪に当たることは、何一つしていません。
23:16 だから私は、懲らしめたうえで、釈放します。」
◎ショートメッセージ
《大祭司カヤパは言いました。
「この人は、ガリラヤからここまで、ユダヤ全土で教えながら、この民を扇動しているのです。」
「この人はガリラヤ人か。」
ピラトは、ヘロデの支配下にあるとわかると、イエス様をヘロデ・アンティパスのところに送ったのです。彼は、毎年「過越の祭」の時には、エルサレムに在住していたのです。
ヘロデはイエス様を見ると非常に喜びました。イエス様に会いたいと思っていましたし、イエス様の行なう何かの奇蹟を見たいとも考えていたからです。
それで、いろいろと質問したのですが、イエス様は何もお答えになりませんでした。
イエス様のすぐ近くには、カヤパと祭司長たちと律法学者たち議員が立っており、イエス様の罪状を激しく訴えました。しかしイエス様は、何も口を開きませんでした。
ヘロデは、自分の兵士たちと一緒にイエス様を侮辱したり嘲弄したりしたあげく、紫色のはでな衣を着せて、祭司長たちや議員たちと共に、ピラトに送り返したのです。
ついにポンテオ・ピラトによる最終裁判が始まりました。
使徒信条には、
『ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、』と言う文章がありますが、イエス様を十字架につけたのは、本来はすべての人間です。
しかし、その中でも実際にそれを執行したのは、ローマ総督ピラトだったのです。
この名前は、イスカリオテのユダの名前と共に、まさに悪の代名詞のようにも言われています。
しかしイスカリオテのユダとポンテオ・ピラトでは、立場の大きな違いがあります。イエス様は、ピラトの罪の為にも身代わりとなって十字架にかかられたのです。
しかしイスカリオテのユダは違います。なぜならユダは、イエス様が十字架にかけられる前に、悲しいことに首を吊って死んでしまうのです。
もしユダが、早まったことをせず、イエス様が十字架にかかられ、「完了した」と言われるまで、生き長られていたとしたら、ユダも救われる機会があったのです。
しかし、聖書は言います。
『イスカリオテのユダは、自分の行くべき所へ行った。』と。すなわち滅んで行ったのです。
イエス様は、最後の最後まで、イスカリオテのユダに戻って来るように祈られたと私は思うのです。そして、まことの神様でもあられるイエス様は、ユダが死んだその瞬間を、霊によって察したことは間違いありません。》