◇◆◇日々のみ言葉
2018年6月13日(水)
◎聖書箇所【ルカの福音書23章17節】
23:13 ピラトは祭司長たちと指導者たちと民衆とを呼び集め、
23:14 こう言った。「あなたがたは、この人を、民衆を惑わす者として、私のところに連れて来たけれども、私があなたがたの前で取り調べたところ、あなたがたが訴えているような罪は別に何も見つかりません。
23:15 ヘロデとても同じです。彼は私たちにこの人を送り返しました。見なさい。この人は、死罪に当たることは、何一つしていません。
23:16 だから私は、懲らしめたうえで、釈放します。」
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からの学びとなります。
このピラトの裁判によるイエス様の裁きは、ムチ打ちの刑でした。ピラトは、なぜムチ打ちの刑を言い渡したのでしょうか。実は三つの理由があるのです。
一つ目は、
彼自身は、サンヘドリンに対して、また集まって来た群衆に対して、はっきりとこう言っています。
「私があなたがたの前で取り調べたところ、あなたがたが訴えているような罪は別に何も見つかりません。」
これはピラトによる第一回目の尋問(裁判)のことを言っています。この時ピラトはイエス様に、「あなたはユダヤ人の王ですか」と質問しました。
イエス様は、「そのとおりです。」と答えられました。
もちろんピラトは、ユダヤの王はヘロデ・アンティパスであることを知っています。よってイエス様を誇大妄想を抱く夢見る者であると判断し、目醒めさせるためにも、ムチ打ちの刑を言い渡したのです。
二つ目は、
ピラトは、実は何とかしてイエス様を釈放しようと試みたのです。その為には、今集まっているユダヤの指導者や群衆を、ある程度納得させる必要がありました。
こんな騒ぎを引き起こした張本人であるイエス様を懲らしめることで、彼らの怒り狂う心を静めようとしたのです。
そして三つ目は、
神様の預言のゆえです。
イザヤ書には、
『まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。(イザヤ書53:4~53:5)』と書かれているからです。
イエス様は、私たちが癒やされる為に、ムチ打ちの刑によって、すべての病と痛みを背負って下さったのです。
シモン・ペテロも言います。
『そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。(第Ⅰペテロ2:24)』と。
主イエス様は、真のいやし主です。》