• 日々のみ言葉 2018年7月4日(水)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2018年7月4日(水)

    ◎聖書箇所【ルカの福音書23章50節~53節】
    23:50 さてここに、ヨセフという、議員のひとりで、りっぱな、正しい人がいた。
    23:51 この人は議員たちの計画や行動には同意しなかった。彼は、アリマタヤというユダヤ人の町の人で、神の国を待ち望んでいた。
    23:52 この人が、ピラトのところに行って、イエスのからだの下げ渡しを願った。
    23:53 それから、イエスを取り降ろして、亜麻布で包み、そして、まだだれをも葬ったことのない、岩に掘られた墓にイエスを納めた。

    ◎ショートメッセージ
    《昨日と同じ箇所からの学びとなります。

     アリマタヤのヨセフが、ポンテオ・ピラトのもとに主イエス様の御からだの下げ渡しを行なったことは、4つの福音書すべてに載っています。しかしニコデモのことは、ヨハネの福音書だけにしか掲載されていません。

     ヨハネは、ニコデモが夜に人を偲んでイエス様の御もとにやって来た日のことについて、次にユダヤ議会におけるイエス様を擁護した発言について、そしてアリマタヤのヨセフと共に、イエス様を埋葬する場面の三つの場面を書き記しました。

     ところで、なぜ三つの共観福音書には、ニコデモの名前は出て来ないのでしょうか。
     マルコ、マタイ、ルカの三人が書き忘れたのでしょうか。

     私は、配慮の何ものでもないと考えるのです。ニコデモには家族があり、娘がいたことが伝えられています。その家族が存命中であるが故に、あえて三人の著者は書かなかったと私は考えます。

     第四福音書をヨハネが執筆した時には、生きた人間イエス様を知っていたのは、使徒最後の生き残りであったヨハネだけでした。
     それゆえ、エルサレムにおける最高の地位と名誉のすべてを棄て、主の弟子であることを公にしたニコデモについて、後世の人間がその名前を忘れないように、書き記したことは間違いないことです。

     さて、今日は「ポンテオ・ピラトの報告書」から、アリマタヤのヨセフがポンテオ・ピラトに願い出た場面の記事を掲載します。

    『私は、悲しみと沈んだ思いのうちに、執政官室に戻りました。階段にはそのナザレ人の血が、まだしみついていました。
     その階段を上る途中、嘆願する姿勢の老人がいるのに気付きました、そして彼の後ろで、幾人かのローマ人が涙を流していました。
     彼は私の足もとに身を投げ出し、非常に激しく泣きました。老人が泣くのを見るのはつらいことであり、私の心はすでに悲しみでいっぱいでした。
     私たちは見知らぬ者同士でしたが一緒に泣きました。
    「ご老人」
     私は自分の感情の落ち着きを取り戻してから、彼に言いました。
    「あなたはどなたで、何を求めておられるのですか?」
    「私はアリマタヤのヨセフです。私が来たのは、ナザレのイエスを葬る許可をあなたからいただくためです。」
    「あなたに祈りを聞き入れましょう。」
     それと同時に私は、マンリウスに命じたのです。
    「彼と一緒に兵士たちを幾人か連れて行き、その埋葬を監督し、それが汚されないようにせよ。」』

     父なる神様は、御子イエス様の埋葬の為に、二人の有力なユダヤ最高議会の議員を用いられたのです。
     彼らは、真に、名誉も地位も、そして富さえもすべて失いましたが、全世界において、いや、天においてその名は、まさしく永遠に刻まれたことと私は思えるのです。

     明日からは、いよいよ最高のクライマックス、主イエス様の復活の場面に入って行きたいと思います。》

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