◇◆◇日々のみ言葉
2018年7月19日(木)
◎聖書箇所【ルカの福音書24章17節~24節】
24:17 イエスは彼らに言われた。「歩きながらふたりで話し合っているその話は、何のことですか。」すると、ふたりは暗い顔つきになって、立ち止まった。
24:18 クレオパというほうが答えて言った。「エルサレムにいながら、近ごろそこで起こった事を、あなただけが知らなかったのですか。」
24:19 イエスが、「どんな事ですか。」と聞かれると、ふたりは答えた。「ナザレ人イエスのことです。この方は、神とすべての民の前で、行ないにも言葉にも力のある預言者でした。
24:20 それなのに、私たちの祭司長や指導者たちは、この方を引き渡して、死刑に定め、十字架につけたのです。
24:21 しかし私たちは、この方こそイスラエルを贖ってくださるはずだ、と望みをかけていました。事実、そればかりでなく、その事があってから三日目になりますが、
24:22 また仲間の女たちが私たちを驚かせました。その女たちは朝早く墓に行ってみましたが、
24:23 イエスのからだが見当たらないので、戻って来ました。そして御使いたちの幻を見たが、御使いたちがイエスは生きておられると告げた、と言うのです。
24:24 それで、仲間の何人かが墓に行ってみたのですが、はたして女たちの言ったとおりで、イエスさまは見当たらなかった、というのです。」
◎ショートメッセージ
《昨日に引き続き、同じ箇所から考えて見ましょう。
安息日が明けた次の日、すなわち日曜日に、クレオパとその妻マリヤが、エルサレムから十一キロメートル余り離れたエマオという村に帰ろうとしていました。
そして、夫婦で、この日に起こった出来事について話し合っていたのです。
するとイエス様ご自身が近づいて来て、彼らと共に道を歩いておられるではありませんか。しかし彼らの目はさえぎられていて、イエス様だとは分かりませんでした。
「歩きながらふたりで話し合っているその話は、何のことですか。」
ここにも大切な真理があります。それは、イエス様の方から声をかけられたと言うことです。
最初に声をかけたのは、クレオパでもなく、またマリヤでもありません。主イエス様なのです。このように神様の方から、私たちに声をかけて下さるのです。
彼らは目だけではなく、実は耳さえも聞こえなくなっていたのです。ルカは、「ふたりの弟子」と書き記していますから、クレオパ夫妻は、イエス様の声を知っていたはずです。その心地よい声の響き、そしてその声から伝わる深い愛と平安を。
彼らは、それまでに何度も、そして何時間も、イエス様の話や教えを、直に自分の耳で聞いていたに違いないのです。
それにも関わらず、その声の主(ぬし)が分からなかったのです。
それでは、いったい何が、そのようにさせるのでしょうか。
まず一つは、固定観念です。
つまりイエス様は死んでしまったと言うことを信じているのです。イエス様は、過越の祭を巡礼する為、エルサレムに入場されるまで、何度も受難予告を弟子たちにして来ました。十字架につけられ殺されることを。
しかしそれだけではなく、三日目によみがえることを。
そのイエス様の言葉を、十二使徒さえも、弟子たちも信じないのです。いや、信じられないのです。
次に考えられることは、悪魔の妨害です。
悪魔、悪霊はすでに知っています。イエス様が本当に復活されたことを。生きておられることを。最後の武器であった死をも打ち破られたことを。
それゆえ、何とかして、イエス様は生きているはずがないと思わせようとするのです。
しかし、イエス様はよみがえられたのです。復活されました。ハレルヤ!
明日は、クレオパ夫妻とイエス様の会話について、さらに考えて見たいと思います。》