• 日々のみ言葉 2018年8月22日(水)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2018年8月22日(水)

    ◎聖書箇所【使徒の働き1章13節~14節】
    1:13 彼らは町にはいると、泊まっている屋上の間に上がった。この人々は、ペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党員シモンとヤコブの子ユダであった。
    1:14 この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちと共に、みな心を合わせ、祈りに専念していた。

    ◎ショートメッセージ
    《引き続き、同じ箇所からの学びとなります。今日は、特に14節についてです。

     まず、時制について考えて見ましょう。

     イエス様は、過越の祭の行なわれている金曜日に十字架にかけられ死なれました。そしてその三日後の日曜日に、よみがえられたのです。

     ルカは、復活されてから四十日間、ご自身が生きておられることを、弟子たちに示されたことを書き記しています。

     そして四十日目のことです。イエス様は、再び十一使徒に現われて、オリーブ山に連れて行き、そこで彼らの見ている間に天に引き上げられて行くのです。

     とするならば、イエス様が、昇天されるその日には、ヨハネ・マルコの家に、すでに母マリヤと、弟たち、妹たちがいたことになります。
     なぜなら、主イエス様の家族は、婦人たちと共に、祈りに専念していたことを、ルカは明確に書き記しているのです。

     とするならば、この時にも、主の家族は、復活され栄光の体となられたイエス様とお会いしているはずです。でなければ、ルカが書き記したことは矛盾だらけになってしまいます。

     母マリヤにとって、イエス様は、彼女の愛する初めての息子イエスから、主イエス様に代わっています。そしてヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの弟たち、二人以上の妹たちにとっても、お兄さんではなく、主に代わっているのです。

     それでは彼らは、この時に初めて生きておられる主にお会いしたのでしょうか。いいえ、違うのです。受難週にイエス様と共に行動していたのは、母マリヤだけなのです。 その母マリヤを、十字架の御もとにおいて支えていたのが、従兄弟で一番年下の使徒ヨハネと、マグダラのマリヤと、ゼベダイの子ヤコブとヨハネの母であるサロメであったのです。

     確かに、主の母マリヤはこのときエルサレムにいました。しかし聖書のどこにも、主の弟たちと妹たちがエルサレムに都上りをしていたとは書かれてはいません。彼らはどこにいたのでしょうか。
     故郷ナザレにいたのです。

     それでは、なぜこの四十日目の時には、エルサレム市内のヨハネ・マルコの家にて祈っているのですか。祈っていることとは、救われ、主イエス様を救い主として信じ受け入れたことを意味しているのです。

     主イエス様の家族は、三年半における公生涯の間には、誰も信じていなかったのです。

     これもあくまでも、私個人の推測なのですが、イエス様がローマ帝国反逆罪にて十字架刑によって処刑されたことを、ナザレにいた弟と妹たちの耳には、すぐに入ったことと思われます。
     彼らは、急いでエルサレムに向けて出発したのではありません。彼らは、自分たちも同じように、反逆罪で十字架に掛けられるかも知れないと恐れおののき、ナザレの家で震え上がっていたのです。

     その時、何時なのかは断定できませんが、イエス様が彼らに現われて下さったのです。もちろんヤコブから順番にです。
     兄であるイエス様が生きていたことを確認した主の兄弟と妹たちは、一目散に、エルサレムに一人残された母マリヤの所に向かったのです。

     そしてヨハネ・マルコの家において再会し、主イエス様を信じたことを分かち合ったのではないでしょうか。》

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