◇◆◇日々のみ言葉
2018年9月13日(木)
◎聖書箇所【使徒の働き2章13節】
2:13 しかし、ほかに「彼らは甘いぶどう酒に酔っているのだ。」と言ってあざける者たちもいた。
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からの学びとなります。
「どうでしょう。いま話しているこの人たちは、みなガリラヤの人ではありませんか。それなのに、私たちめいめいの国の国語で話すのを聞くとは、いったいどうしたことでしょう。
私たちは、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人、またメソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者たち、また滞在中のローマ人たちで、ユダヤ人もいれば改宗者もいる。
またクレテ人とアラビヤ人なのに、あの人たちが、私たちのいろいろな国言葉で神の大きなみわざを語るのを聞こうとは。」
「いや、彼らは甘いぶどう酒に酔っているのだ。」
主イエス様は、三年半におよぶ公生涯において、様々な奇蹟を行なわれました。
しかも、その奇蹟を目の辺りに見た者たちでさえ、二つの見解に分かれたのです。
つまり、信じる者と、信じない者とに。
あるいは、奇蹟を認める者と、認めようとしない者とに。
この時も同じでした。
ある人々は、
「あの人たちが、私たちのいろいろな国言葉で神の大きなみわざを語るのを聞こうとは。」
と素直に、今ここで起こっていることは、神様が成された御わざであることを認め、単純に感動しています。
しかし、ある人々は、
「神の御わざなものか。彼らは朝から甘いぶどう酒を飲んで酔っぱらっているのだ。」
と疑心暗鬼になって、自分の知識や経験したこと以外に認めようとはしないのです。そして、それだけにとどまらず裁くのです。
これは何も、二千年前に始まったことではありません。人類の歴史が始まって以来、果てしなく繰り返されていることなのです。
そして、それは今も同じです。
今でも、主イエス様を信じる者と、そして信じない者とに分かれるのです。
主イエス様は、使徒トマスに言われました。
『「あなたの指をここにつけて、私の手を見なさい。手を伸ばして、私のわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」
「私の主。私の神。」
「あなたは私を見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」(ヨハネの福音書20:27~20:29抜粋)』
あなたはどちらでしょうか。信じる者ですか?、それとも信じない者ですか?
すべての人々は、誰であっても例外はなく、主イエス様の十字架の御前に立たされています。
そして、主イエス様は問い続けられるのです。
「あなたは私を信じますか。それとも信じないのですか。」》