• 2018年9月30日礼拝メッセージの概要

    ◇◆◇2018年9月30日第五主日礼拝
    ◎本日の聖書箇所 【ヨハネの福音書16章1節~3節】 (新約p.194下段左側)
    16:1 「これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがつまずくことのない為です。
    16:2 人々はあなたがたを会堂から追放するでしょう。事実、あなたがたを殺す者がみな、そうすることで自分は神に奉仕しているのだと思う時が来ます。
    16:3 彼らがこういうことを行なうのは、父をも私をも知らないからです。」

    ◎メッセージの概要【父をも私をも知らない者たち】
    《引き続き、ヨハネ・マルコの家において「最後の晩餐」のイエス様の惜別説教からの学びとなります。
     イエス様は、ここで「これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがつまずくことのないためです。」と言われましたが、この後、皆でオリーブ山に出かけて行く時に、イエス様は、弟子たちのつまずきとペテロの否認の預言をなされるのです。
    「あなたがたはみな、つまずきます。『私が羊飼いを打つ。すると、羊は散り散りになる。』と書いてありますから。ペテロ、まことに、あなたに告げます。あなたは、きょう、今夜、鶏が二度鳴く前に、私を知らないと三度言います。」とマルコの福音書に書かれている通り、彼らはつまずくことになるのです。
     何にでしょうか。イエス様につまずくのです。信仰につまずくのです。
     しかし「つまずいた者」でなければ、つまずくことは分からないのです。体験した者でなければ、つまずかなくなることはないのです。数時間後に、大祭司アンナスの屋敷の中庭において、主を三度知らないと否認するペテロも、主がよみがえられて、現われた後には、主に対する信頼と信仰は確固たるものとなっていました。それだからこそ、その最後は、逆さ磔の刑で殉教して行ったのです。
     つまずくことは、弟子たちだけとは限りません。私たちもつまずくのです。主イエス様を直に知っていた弟子たちでさえつまずいたのです。
     それこそ、主イエス様を見ることも、その声を耳で聞くことの出来ない私たちこそ、つまずきやすいと言っても良いでしょう。
     次にイエス様は、
    「人々はあなたがたを会堂から追放するでしょう。事実、あなたがたを殺す者がみな、そうすることで自分は神に奉仕しているのだと思う時が来ます。」と言う預言をされました。
     この預言も使徒たちに成就します。そればかりではありません。やがてエルサレム中に大きな迫害が起きることになるのです。誰によってでしょうか。
     パリサイ人の中において最も有力なラビであるガマリエルの一番弟子、しかも生粋のローマ市民であるサウロと言う青年によってです。
     使徒の働きによれば、
    『サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。サウロは教会を荒らし、家々にはいって、男も女も引きずり出し、次々に牢に入れた。
     サウロは、なおも主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて、大祭司のところに行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を書いてくれるよう頼んだ。それは、この道の者であれば男でも女でも、見つけ次第縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。』として、兵士を引き連れてダマスコへ向かいます。そしてその途上において主イエス様とお会いすることになるのです。ここに異邦人への最大の使徒パウロが誕生します。
     所でなぜサウロは主の弟子たちと教会を迫害したのでしょうか。サウロがイエス様の声を聞いた時、彼はこのように質問しました。
    「主よ。あなたはどなたですか。」
     旧約聖書に精通し、そして「昔の人の言い伝え」であるミシュナの六百以上の禁止令を守り、ヤーヴェなる神様に仕えて来たはずのサウロが質問した言葉にその真理があるのです。
     イエス様は言われました。
    「彼らがこういうことを行なうのは、父をも私をも知らないからです。」
     ユダヤ教に、そして真理を求めることにおいて人一倍熱心であったサウロは、父なる神様も、救い主であるイエス様も何と知らなかったのです。
     弟子たちには、そして私たちには使命が与えられています。
     使徒となったパウロはこのように勧めています。
    『ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。
    「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。
     しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」』と。
     これこそがサウロが体験したことなのです。
     イエス様は十一使徒たちにこのように命じられました。
    「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」
     この世における最大のサクセスストーリーはただ一つです。それは、今も生きておられ真の神様、救い主であり、私の罪の為に身代わりとなって十字架にかかって死んで下さった主イエス様に出会うことなのです。そして「永遠のいのち」をいただくことなのです。》

Comments are closed.