◇◆◇日々のみ言葉
2018年10月7日(日)
◎聖書箇所【使徒の働き3章3節】
3:3 彼は、ペテロとヨハネが宮にはいろうとするのを見て、施しを求めた。
◎ショートメッセージ
《ある日、なぜかシモン・ペテロとゼベダイの子ヨハネは、午後三時の祈りの時間に、エルサレムの神殿に上って行きました。
そして、エルサレム神殿の東側の「異邦人の庭」から、さらに内側の「婦人の庭」に通じている門にさしかかりました。
この門は、他の門と比べて、値打ちのある分厚い金銀とコリントしんちゅうで飾られ、壮麗を極めていたところから「美しの門」と呼ばれていたのです。
すると二人が見ていると、生まれつき足のきかない男が運ばれて来た所だったのです。この男は、宮にはいる人たちから施しを求めるために、毎日この「美しの門」の前に置いてもらっていたのです。
彼は、二人が門を通ってはいろうとするのを見て、
「私を哀れんで下さい。」と施しを求めたのです。もちろんこの時には、彼は二人が誰であるのかを知りません。
イエス様は、約三年半年にもおよぶ公生涯において、重要な祭りの時には、何度も弟子たちを連れて、聖都エルサレムに巡礼しました。
その時には、神殿の中で、何度もユダヤ人たちに教えられたのです。当然、神殿の行き帰りには、何度もこの「美しの門」を通ったはずです。もちろん弟子たちもです。
この生まれつき足の聞かない男は、その時にも、この「美しの門」の前に座っていて施しを求めていたに違いありません。
では、どうしてイエス様は彼をいやしてあげなかったのでしょうか。イエス様はエルサレム市内においても多くの奇跡や不思議なしるしを成されたはずですのに。
もしかしたら、この男はイエス様のうわさを耳にしていたのではないでしょうか。乞食仲間である「生まれつき目の見えない」青年がいやされたのですから。
しかし、この時には、イエス様は十字架にかけられ、すでに殺されてしまった後なのです。彼はイエス様が、三日目によみがえられたことを知らなかったのかも知れません。
この日も彼は、何の希望も持たずに「美しの門」の前に座ったのです。
この門を通るのが、パリサイ人や律法学者たち、あるいは祭司長や祭司たち(服装でわかる)だったとしたら、彼は施しを求めるようなことはしなかったかも知れません。
なぜならそれらの人々は、彼がそのような不自由な体で生まれついたのは、両親や先祖、あるいは彼自身が犯した罪の結果だと考えていたからです。
その時、彼は、ペテロとヨハネが宮にはいろうとするのを見たのです。二人は一般的なユダヤ人の格好をしていました。そして彼は施しを求めたのです。
「私を哀れんで下さい。」と。》