◇◆◇日々のみ言葉
2018年10月11日(木)
◎聖書箇所【使徒の働き3章6節~8節】
3:6 すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」と言って、
3:7 彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、
3:8 おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりと一緒に宮にはいって行った。
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所になります。
男は、「私たちを見なさい。」と言うペテロの言葉で、下を向いていた顔を上にあげ、ペテロとヨハネを見つめたのです。
ここが非常に大切なポイントでもあるのです。もし生まれつき足のきかない男が、従わず、ずっーと下を向いていたとしたら、果たして彼はいやされたでしょうか。
ペテロは、「金銀は私にはない。」と、はっきりと述べました。
そして次に、「しかし、私にあるものを上げよう。」と言ったのです。
この時、ペテロとヨハネは何かを持っていたでしょうか。いいえ、両手には何も持っていなかったと私は思います。もし両手に何かを持っていたとしたら、男は、何か物質的な物と思ったはずです。
何も持っていなかったからこそ、「いったい何をくれると言うんだ。」と考えたに違いないのです。
良いですか。
神様が下さるものは、いつも私たちの想像以上のものなのです。それは、お中元とかお歳暮のようなものではありません。それだとしたら、誰でももらえますし、差し上げることも出来るではありませんか。
私たちが想像する以上のものを、それも良い物をいつも神様は用意して下さるのです。なぜならそれが神様の本質だからです。
その中においても、最も素晴らしい最良最大のプレゼントは、「イエス・キリスト」なのです。
「ナザレのイエス・キリストの名によって、」
この名前を男は知らなかったのでしょうか。いいえ知っていたのです。しかもエルサレムにイエス様が来られた時に、たくさんの人々がいやされたことを伝え聞いていたのです。
特に、同じ乞食仲間であり、生まれつき盲目の青年が主イエス様によっていやされ、見えるようになったことを知っていたはずです。
この御名こそに「いのち」が、「いやし」があるのです。
かつてイエス様が弟子たちに約束された通りなのです。
『「あなたがたが私を選んだのではありません。私があなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたが私の名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。」(ヨハネの福音書15:16)』
そしてシモン・ペテロは、力を込めて宣言したのです。
「歩きなさい。」
明日も同じ箇所です。》