◇◆◇日々のみ言葉
2018年10月16日(火)
◎聖書箇所【使徒の働き3章16節】
3:16「そして、このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです。」
◎ショートメッセージ
《ペテロは大胆に話し始めました。
「イスラエル人たち。なぜこのことに驚いているのですか。なぜ、私たちが自分の力とか信仰深さとかによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか。
アブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわち、私たちの先祖の神は、そのしもべイエスに栄光をお与えになりました。あなたがたは、この方を引き渡し、ピラトが釈放すると決めたのに、その面前でこの方を拒みました。
そのうえ、このきよい、正しい方を拒んで、人殺しの男を赦免するように要求し、いのちの君を殺しました。
しかし、神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました。私たちはそのことの証人です。」
ペテロは、はっきりとユダヤ人の罪を指摘しています。実際に、エルサレム市内に在住のユダヤ人たちが、前回の「過越の祭」において、群衆と化して「十字架につけろ」と叫んだのですから。
そればかりではありません。ゴルゴタの丘にまで見物人として行き、主イエスの最後を見届けたのですから。
まさしく、この時に集まって来たユダヤ人たちは、いのちの君を殺したのです。しかしイエス様はよみがえられました。復活されたのです。
そしてペテロは、
「イエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです。」と権威を持って宣言したのです。
「主の御名」に力があります。
「主の御名」に権威があります。
「主の御名」にいやしがあります。
では、誰が「主イエスの御名」に権威を与えられたのでしょうか。
父なる神様です。
父なる神様が、イエス様が十字架の身代わりの死まで従われたことによって、栄光をお与えになったのです。
そして主の御名による、しるし、奇跡、不思議を通して、父なる神様に栄光が帰されて行くことになります。
「主イエス・キリストの御名」
私たちは、本当にこの素晴らしい御名により頼んでいるでしょうか。この御名に信頼しているでしょうか。
仏教の「南無妙法蓮華経」のように、お題目のように唱えてはいないでしょうか。
私たちは、主イエス様こそが、真の救い主であられ、メシアであられることを、全身全霊を持って本当に賛美し、感謝しているのでしょうか。
信じているのでしょうか。
主は、心を見ておられます。》