◇◆◇2018年11月18日第三主日礼拝
◎本日の聖書箇所【ヨハネの福音書16章23節~24節】 (新約p.196上段右側)
16:23「その日には、あなたがたはもはや、私に何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが父に求めることは何でも、父は、私の名によってそれをあなたがたにお与えになります。
16:24 あなたがたは今まで、何も私の名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。」
◎メッセージの概要【私の名によって求めなさい】
《「その日」とは、イエス様がよみがえられる復活の日のことを指しています。その時、弟子たちは、本当にイエス様が神の御子であること、メシアであることを身をもって体験するのです。もちろん預言であり、これからすぐに成就します。
さてイエス様は、「あなたがたが、父に求めることは何でも、父は私の名によってそれをあなたがたにお与えになる」と言われました。
かつて弟子たちがイエス様に、
「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えて下さい。」
と願った時に、そこでイエス様は彼らに「主の祈り」を教えられました。その時、天におられる父に祈ることを、初めて教えられたのです。
ユダヤのラビは、バプテスマのヨハネもその一人ですが、独自の祈りの言葉を持っていて、その祈りを弟子たちに教えていました。
それから弟子たちは、いつも「主の祈り」を唱えたのです。
「私の名によって」
このことを言われたのは、二回目です。最初は、
「私は、あなたがたが私の名によって求めることは何でも、それをしよう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、私の名によって何かを私に求めるなら、私はそれをしよう。」と言われ、そして今回は、
「あなたがたが父に求めることは何でも、父は、私の名によってそれをあなたがたにお与えになる。」と言われ、ご自身が父と同じ方であることを、明らかにされたのです。
さて、
「あなたがたは今まで、何も私の名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。」と言われました。
山上の垂訓において、かつてイエス様はこのように教えられました。
「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。
あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。
してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。」と。
使徒パウロは、はっきりと述べています。
『私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子と一緒にすべてのものを、私たちに恵んで下さらないことがありましょう。』と。
天の父なる神様は、主イエスを信じ従う者には、「最も良い物」を、その人に取って「最高の物」を、いやイエス様と共に「すべてのもの」を、与えて下さるです。
神様は良いお方であり、善なるお方なのです。
しかし、それぞれに成就の時があります。
なかなか与えられない、あるいは願いや祈りが答えられない、そんな時が私たちの人生において、往々にしてあるのはどうしてなのでしょうか。
その答えを「ヘブルへの手紙」の著者は、こう教えています。
『ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。
あなたがたが神のみ心を行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。遅くなることはない。私の義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、私の心は彼を喜ばない。」
私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じて命を保つ者です。』と。
また、主の弟ヤコブは、このように言っています。
『私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。
その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。(ヤコブの手紙1:2~1:4)』と。》