◇◆◇日々のみ言葉
2018年12月1日(土)
◎聖書箇所【使徒の働き5章12節】
5:12 また、使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議なわざが人々の間で行なわれた。みなは一つ心になってソロモンの廊にいた。
◎ショートメッセージ
《昨日は、初代エルサレム教会内に起きた「アナニヤとサッピラ」の事件によって、これを聞いたすべての人に、非常な恐れが生じたことについて考えて見ました。
何度も言います。
神様は愛のお方です。
もしイエス様が旧約聖書における父なる神様のように、常に厳しく裁かれるお方であるとしたら、十字架は必要の無いことになってしまいます。
また使徒ヨハネもこのようには書かないはずです。
『愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。 愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。
神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させて下さいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。(第Ⅰヨハネ4:7~4:10)』と。
悪魔は、私たちに「死」と「恐れ」を武器にして攻撃して来ます。もしイエス様が、悪魔と同じように、教会を「恐れ」で支配したとしたら、それこそ神様は嘘つきになってしまいます。
教会は「恐れ」ではなく、「愛」で支配されるべきなのです。
アナニヤと妻サッピラの魂のことをもっと真剣に教会が考えてあげたら、あんな結果ではなく、もっと違うような結末になったかも知れません。
さて、「使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議なわざが人々の間で行なわれた。」と、ルカは書き記していますが、この節を読みますと、何か不思議な感じがするのは、私だけでしょうか。
確かにイエス様は、このように弟子たちに約束されました。
『「まことに、まことに、あなたがたに告げます。私を信じる者は、私の行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。私が父のもとに行くからです。」(ヨハネの福音書14:12)』
しかし、弟子たちの力でそれをされるのではなく、弟子たちを通して主が、聖霊が、多くのしるしと不思議なわざを成されるのです。
よって、栄光はすべて主イエス様のものであり、神様に帰せられるものなのです。
この節には、確かに使徒たちを通して、麗しい光景が描かれているようですが、注意すべきことは、人々の目線が、主イエス様ではなく、使徒たちに、すなわち人間に注がれることになりやすい、と言うことなのです。》