◇◆◇日々のみ言葉
2018年12月4日(火)
◎聖書箇所【使徒の働き5章16節】
5:16 また、エルサレムの付近の町から、大ぜいの人が、病人や、汚れた霊に苦しめられている人などを連れて集まって来たが、その全部がいやされた。
◎ショートメッセージ
《ついに、エルサレムの人々は病人を大通りへ運び出し、寝台や寝床の上に寝かせ、ペテロが通りかかるときには、せめてその影でも、だれかにかかるようにするほどになったのです。
そして、その続きとして、ルカは素晴らしい記事を書き記しています。
「その全部がいやされた。」と。
これは驚異的なことです。
これは、まさに主を、神様を、畏れるべき、出来事なのです。
かつて、主イエス様は、カペナウムのシモン・ペテロの家において、癒やしを行なわれました。
マタイの福音書によりますと、
『それから、イエスは、ペテロの家に来られて、ペテロのしゅうとめが熱病で床に着いているのをご覧になった。イエスが手にさわられると、熱がひき、彼女は起きてイエスをもてなした。
夕方になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れて来た。そこで、イエスはみ言葉をもって霊どもを追い出し、また病気の人々をみなお直しになった。(マタイの福音書8:14~8:16)』と書かれています。
主イエス様は、あらゆる病気をいやされ、あらゆる災いをいやされ、そして悪霊から解放されたのです。この場面を弟子たちは見ていたのです。
しかし、この時には、主イエス様は、ご自身の神の力と権威で、そのミニストリーを行なわれたのではなく、聖霊様によって、その御わざを成し遂げられたのです。
そのことをペテロは、イタリア隊の隊長コルネリオに、このように証しています。
『「それは、ナザレのイエスのことです。神はこの方に聖霊と力を注がれました。このイエスは、神が共におられたので、巡り歩いて良いわざをなし、また悪魔に制せられているすべての者をいやされました。」(使徒の働き10:38)』
ここで言われていますように、「聖霊」と「力」とは、別なものなのです。聖霊は、助け主であられ、神の第三位格に位置される神様であられます。その方が、イエス様を通して「力」を発揮して下さったのです。聖霊様は、人格をお持ちの神様なのです。
この時には、シモン・ペテロを通して、聖霊様は癒やしと悪霊からの解放をして下さいました。
このような時に、私たちは何と言えば良いのでしょうか。
そのことを、すでに主は教えておられます。
『「あなたがたもそのとおりです。自分に言いつけられたことをみな、してしまったら、『私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです。』と言いなさい。」(ルカの福音書17:10)』と。
神のしもべは、常にこのように謙遜であるべきなのです。》