◇◆◇日々のみ言葉
2018年12月3日(月)
◎聖書箇所【使徒の働き5章15節】
5:15 ついに、人々は病人を大通りへ運び出し、寝台や寝床の上に寝かせ、ペテロが通りかかるときには、せめてその影でも、だれかにかかるようにするほどになった。
◎ショートメッセージ
《ここには、不思議な光景が描かれています。
なぜ、人々は病人を大通りへ運び出し、寝台や寝床の上に寝かせたのでしょうか。
それは、「ソロモンの回廊」にまで行くことが出来ない病人であったからです。つまり動くことの出来ない、あるいは歩くことの出来ない病人の方のことです。
エルサレムのヘロデ神殿は、今は、全く残されてはいませんが、多くの階段があったことが考えられます。
今、現在のように、バリアフリー化されてはいませんし、また当時には当然、車椅子も存在しません。
また大勢の人々が、神殿内部の「ソロモンの回廊」に押しかけていましたから、重病の方を、使徒たちが様々なしるしや奇跡を行なっている場所にまで、運ぶことも連れて行くことも、非常に難しいことであったに違いないのです。
それゆえ、人々が、おそらく家族が、病人を大通りへ運び出し、寝台や寝床の上に寝かせたのです。
直ってほしい。癒やされてほしいと思うのは、家族でなくとも誰もが願うことです。
そのことは、今でも同じです。
家族の中に一人の病人がいたとしたら、例え、それが犬のペットであったとしても、心は不安に駆られ、心配するのは当たり前です。
さて、ここで不思議に思うことがあります。
ルカが、書き記している使徒の名前が、「ペテロ」だけなのです。
「ペテロが通りかかるときには、せめてその影でも、だれかにかかるようにするほどになった。」
他の十一人の使徒の名前はありません。ここから考えられることは、おもにペテロが病の癒やしの為に、按手して祈っていたのではないか、と言うことです。
また、もう一つ考えられますことは、シモン・ペテロが使徒のリーダーであったからと言うことです。
ここに大きな危険性が潜んでいます。
つまり「人」に目が行ってしまうことです。例えば、有名な○○牧師先生、あるいは有名な○○神父様に祈ってもらったら、効き目は効果てきめん、と言った様な具合でしょうか。
私たちも注意する必要があるのです。「人」ではなく、「主イエス・キリスト」に目を向けるべきであり、留めるべきなのです。
いやし主は、主イエス様なのです。ペテロは、主の御名によって、病をいやしていたのです。
『それから、イエスは彼らにこう言われた。
「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。
信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」
主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた。そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、み言葉に伴うしるしをもって、み言葉を確かなものとされた。(マルコの福音書16:15~16:20)』》