◇◆◇日々のみ言葉
2018年12月8日(土)
◎聖書箇所【使徒の働き5章21節~24節】
5:21 彼らはこれを聞くと、夜明けごろ宮にはいって教え始めた。一方、大祭司とその仲間たちは集まって来て、議会とイスラエル人のすべての長老を召集し、使徒たちを引き出して来させるために、人を獄舎にやった。
5:22 ところが役人たちが行ってみると、牢の中には彼らがいなかったので、引き返してこう報告した。
5:23 「獄舎は完全にしまっており、番人たちが戸口に立っていましたが、あけてみると、中にはだれもおりませんでした。」
5:24 宮の守衛長や祭司長たちは、この言葉を聞いて、いったいこれはどうなって行くのかと、使徒たちのことで当惑した。
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からの学びとなります。
使徒たち全員は、大祭司と祭司長たちの命令により、神殿守衛長の兵士らによって捕えられ、留置場に入れられました。
ところが、その夜、主の使いが訪れて、牢の戸を開き、彼らを連れ出し、
「行って宮の中に立ち、人々にこの命の言葉を、ことごとく語りなさい。」と命じたのです。
その時、彼らは自分たちが、奇跡的に助け出されたことを知ったのです。
そして、夜明け頃に、神殿にはいって教え始めたのです。場所は、もちろん「ソロモンの回廊」であることは間違いありません。
さて、そんなことが起こっているとは露知らず、大祭司とその仲間たちは集まって来て、最高議会とイスラエル人のすべての長老を召集しました。
そして使徒たちを引き出して来させるために、守衛の兵士らを獄舎にやったのです。ところが彼らが行ってみると、カギがかけられていたにもかかわらず、牢の中はもぬけの殻でした。一体、何が起こったのと言うのでしょう。
また、獄舎の番人たちは、誰も牢から出て行った者はいなかったことを、証言したと思われます。
宮の守衛長や祭司長たちは、この言葉を聞いて、使徒たちのことで当惑したのです。 つまり、彼らは、自分たちが十字架に掛けて殺したイエスの弟子たちによって、本当に神の御わざが成されていることを、認めざるを得なかったと言うことです。認めたくなくともです。
それにもかかわらず、彼らは、未だに信じようとはしませんでした。信じるよりも、主イエスに対してねたみを起こしたように、今度は使徒たちにねたみを起こしたのです。
これが人間です。
人間の本性は、決して変わらないのです。神様が触れて下さらなければ。
自分たちには、どうやっても出来ないようなしるしや不思議や奇跡。
それを行なう使徒たちに対して、敬意を表わすどころか、何としても妨害し、排除しようとたくらむのです。
私たちもどうでしょうか。
ある人が、会社や教会で用いられたりすると、祭司長たちのように、メラメラとねたみが湧いてくるようなことはないでしょうか。
大切なことは、人は、人なのです。そしてあなたは、あなたなのです。
人と比べる必要は、何一つありません。
肝心なことは、あなたが持っているもの、あなただけしか持っていないものを用いて、神様の栄光を現わすことを常に心掛けることです。
私たち一人一人には、主によって、多くのものが与えられているのですから。》