• 2018年12月16日礼拝メッセージの概要

    ◇◆◇2018年12月16日第三アドベント礼拝
    ◎本日の聖書箇所【ヨハネの福音書17章2節~3節】 (新約p.197上段右側)
    17:2「それは子が、あなたからいただいたすべての者に、永遠のいのちを与えるため、あなたは、すべての人を支配する権威を子にお与えになったからです。
    17:3 その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。」

    ◎メッセージの概要【永遠の命を与える為】
    《今日はクリスマスアドベントの第3週になりますが、引き続きヨハネの福音書17章における「主イエス・キリストの父への祈り」を学んで行きたいと思います。
     先週は「時が来ました」とイエス様が言われた「時」について考えて見ました。今日は、「永遠のいのち」について、考えて見たいと思います。
     主は何度も弟子たちに、そしてユダヤ人たちに、ご自身がこの世界に来られた真の目的は、「永遠の命」を与えることであることを教えられました。この永遠の命を与える為には、「十字架の死と復活」を通らなければならないことは必然でした。もちろん、まだこの時には十字架の直前であって、弟子たちはその意味が分からず、また彼らは「永遠の命」を持っていなかったことが分かります。
     主は、このように言われました。「それは子が、あなたからいただいたすべての者に」と。
     この言葉の解釈には二通りあります。一つは「主を信じる者」を指し、もう一つはアダムとエバから生まれ出たすべての人を指し示します。
     その次に続く「永遠のいのちを与えるため、あなたは、すべての人を支配する権威を子にお与えになったからです。」と言う文脈から、この世界に存在した、また未来に存在するすべての人を指すと考えるのが妥当であると言えるでしょう。
     なぜなら、この世界も、すべての生き物も主イエス様が創造されたからです。パウロはこう言っています。
    『万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。』
     よってイエス様は、最初の人アダムに取っても主であり、アブラハムはもちろんのこと、ダビデの子孫でありながらダビデの主であり、母マリヤは実の母であっても、彼女の主であることになるのです。
    「永遠の命を与える為」と言われましたが、実際に主を信じる者が、この「永遠の命」をいただく時は、主が再臨された時となり、よってまだ未来のことです。
     主は、ある時、ユダヤ人の指導者たちと弟子たちにこのような教えをされました。
    「私を遣わした方のみ心は、私に与えてくださったすべての者を、私がひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。事実、私の父のみ心は、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。私はその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。」と。
     そしてさらにご自身こそが「命のパン」であると言う「霊的たとえ」をされたのです。
    「まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。私はいのちのパンです。私の肉を食べ、私の血を飲む者は、私のうちにとどまり、私も彼のうちにとどまります。これは、天から下ってきたパンです。このパンを食べる者は永遠に生きます。」
     このたとえを聞いて多くの弟子たちが去って行ったと、ヨハネは書き記していますが、十二使徒と数人の弟子は御元に残ったのです。
     それでは「永遠の命」をいただく為にはどうしたら良いのでしょうか。17章3節には、
    「その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。」と言われましたが、それではイエス様を知るとはどういうことなのでしょうか。
     実は、ここで使われている言葉は、夫が妻を知ると同じ言葉なのです。つまり性的結合を意味します。イエス様は、結婚とは互いが一つになることであると言われましたが、それは体が一つになることだけでなく、霊的に一つになると言うことなのです。ここから教会は花嫁であり、イエス様が花婿であると言う「たとえ」が分かるものです。
     つまりイエス様と一つになることなのです。
     ヨハネはこう言っています。
    『御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。』
     ここから「御子を持つ者」と言うことが、「命のパン」を食べると言う意味にもつながって行きます。そして「御子を持つ」と言うことは、ヨハネの黙示録にも説明されています。
    『見よ。私は、戸の外に立ってたたく。だれでも、私の声を聞いて戸をあけるなら、私は、彼の所にはいって、彼と共に食事をし、彼も私と共に食事をする。』
     これこそが、主との交わりを意味し、主と一つになることを意味しています。永遠の命は、主イエス・キリストご自身にあるのです。主が信じる者の中に、聖霊として住んで下さるのです。そして日々、主イエス・キリストの霊である聖霊が、人格として、信じる者の人格と交わりをして下さるのです。
     言うまでもなく、私たちに取って一番楽しい時は、食事です。それは同じ物を食べるからです。一人で食事を食べることの何とわびしいことなのかは、誰もが知っています。
     しかし主を信じる者は違います。いつも主が共にいて下さり食卓を共にして下さるからです。永遠の命とは、永遠に主イエス・キリストの食卓の席に招かれることなのです。》

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