• 日々のみ言葉 2018年12月16日(日)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2018年12月16日(日)

    ◎聖書箇所【使徒の働き5章34節~40節】
    5:34 ところが、すべての人に尊敬されている律法学者で、ガマリエルというパリサイ人が議会の中に立ち、使徒たちをしばらく外に出させるように命じた。
    5:35 それから、議員たちに向かってこう言った。「イスラエルの皆さん。この人々をどう扱うか、よく気をつけてください。
    5:36 というのは、先ごろチゥダが立ち上がって、自分を何か偉い者のように言い、彼に従った男の数が四百人ほどありましたが、結局、彼は殺され、従った者はみな散らされて、あとかたもなくなりました。
    5:37 その後、人口調査のとき、ガリラヤ人ユダが立ち上がり、民衆をそそのかして反乱を起こしましたが、自分は滅び、従った者たちもみな散らされてしまいました。
    5:38 そこで今、あなたがたに申したいのです。あの人たちから手を引き、放っておきなさい。もし、その計画や行動が人から出たものならば、自滅してしまうでしょう。
    5:39 しかし、もし神から出たものならば、あなたがたには彼らを滅ぼすことはできないでしょう。もしかすれば、あなたがたは神に敵対する者になってしまいます。」彼らは彼に説得され、
    5:40 使徒たちを呼んで、彼らをむちで打ち、イエスの名によって語ってはならないと言い渡したうえで釈放した。

    ◎ショートメッセージ
    《今日からは先に進みます。

     さて、
    「人に従うより、神に従うべきです。私たちの先祖の神は、あなたがたが十字架にかけて殺したイエスを、よみがえらせたのです。
     そして神は、イスラエルに悔い改めと罪の赦しを与えるために、このイエスを君とし、救い主として、ご自分の右に上げられました。
     私たちはそのことの証人です。」
     と言うペテロの発言を聞いて、最高議会のサドカイ派の人々は、怒り狂い、使徒たちを殺そうと計ったのです。

    「計った」とは、
     計画したと言うことではなく、今すぐにも死罪にしようと決議したと言うことなのです。おそらく祭司長たちと祭司たちは、全員が立ち上がり、「死罪にしろ」「皆殺しにしろ」と叫び始めたかと思われます。

     そのように議会が騒然とし、雲行きが怪しくなって来た時に、一人の人物が立ち上がりました。

     新約時代のパリサイ派は、比較的穏健に律法を解釈するヒレル派と、律法を急進的に解釈するシャンマイ派とに分かれていました。
     そのヒレル派に所属していたのが、ガマリエルであったのです。

     ガマリエルは、祭司長に進言し、使徒たちをしばらく全員、外に出すように仕向けました。そしてその後、議会において議論されたことを、ルカは書き記しています。

     さて、ここで素朴な疑問が生じるのです。「ガマリエルの言葉を、誰が聞いていたのか」と言うことなのです。

     イエス様の十字架は、紀元27年もしくは30年と一応の目安が立てられています。そしてサウロ(使徒パウロ)の改心は、紀元35年頃だと言われています。
     このことから、イエス様とサウロの人生が交差していることは間違いないことなのです。
     パウロが、35年頃に改心し、3年間ダマスコにおいて旧約聖書をくまなく調べあげ、紀元38年に伝道を開始しました。
     ユダヤ人は、30歳にならなければ、ラビとして教えてはならないことになっていましたから、逆算すると、パウロは紀元8年生まれとなり、イエス様が十字架にかけられた時には、19歳もしくは22歳であって、まさに青年の時なのです。

     パウロはこう言っています。
    『「私はキリキヤのタルソで生まれたユダヤ人ですが、この町で育てられ、ガマリエルのもとで私たちの先祖の律法について厳格な教育を受け、今日の皆さんと同じように、神に対して熱心な者でした。(使徒の働き22:3)』と。

     つまりエルサレム育ちであり、この場面に登場するガマリエルの弟子であると告白しているのです。
     よって、使徒たちの裁判のことを、師ガマリエルから聞いたのか、もしくは、サウロ本人が、サンヘドリン議会の中に同席していた可能性をも考えられるのです。

     とすると、イエス様が出会った「金持ち」の議員の青年は、紛れもなくパウロ本人であったとしても、決して間違いではないことかも知れません。》

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