◇◆◇日々のみ言葉
2018年12月22日(土)
◎聖書箇所【使徒の働き6章2節~4節】
6:2 そこで、十二使徒は弟子たち全員を呼び集めてこう言った。「私たちが神の言葉をあと回しにして、食卓のことに仕えるのはよくありません。
6:3 そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち七人を選びなさい。私たちはその人たちをこの仕事に当たらせることにします。
6:4 そして、私たちは、もっぱら祈りとみ言葉の奉仕に励むことにします。」
◎ショートメッセージ
《栄光の中にスタートした初代エルサレム教会も、大きくなって行くにつれ、問題が起きて来ました。
教会は確かに罪赦され、救われた者たちの集まりなのですが、それはあくまで「罪赦された罪人たちの群れ」なのです。
私たちは救われたと言いましても、罪から完全に解放されてしまったのではないのです。
もちろんだからと言って、私たちの救いが不完全だと言うのではありません。私たちの救いは完全なのですが、それには段階があり、今日の私たちにとっては、救いはまだ未完成なのです。
それでは一体何時完成するのかと言いますと、主イエス様の再臨によって、初めて実現されるものであって、今まだ完成の途上にあるわけです。
そうした、今なお未完成のうちにある私たちの群れに、問題が起こってくるのは、むしろ自然であると言っても良いでしょう。
ただ大切なことは、その問題にどう取り組むかと言うことです。初代教会は、そうした問題を決して回避しないで、それと真正面から取り組み、乗り越えて行きました。そのことについては非情に注目すべきことだと言えるでしょう。
さて、十二使徒たちは集まり、この問題について協議したと思います。もちろん彼らは霊的指導者でありますから、主イエス様に、聖霊様に祈り導きを求めたことは間違いありません。そのことについては、ルカは書き記していませんが、まず何よりも祈りが優先になることは言うまでもないことです。
なぜなら主イエス様は、いつも祈っておられたからです。また、人間の浅はかな知恵と方法では、最善の解決策は生まれて来ないことは当然です。
さて、彼らの祈りに答えて、聖霊様は十二使徒に素晴らしい解決法を与えて下さいました。
これこそが、教会における「執事職」の発端になって行くことになります。
「私たちが神の言葉をあと回しにして、食卓のことに仕えるのはよくありません。」と使徒たちは、弟子たち全員に語っていますが、このことを十二使徒に教えられたのは、紛れもなく聖霊様であるはずです。
ここから「牧師」と言う立場が生まれたと私は信じるのです。この時には、まだ主の弟であるヤコブの名は登場しません。やがて十二使徒たちがエルサレムを離れて、各地に伝道し始めた時に、エルサレム教会を指導する者の必要が生まれたかと思います。
そしてその時にも、聖霊様が十二使徒の祈りと導きに答えて、主の兄弟ヤコブを、エルサレム教会初代牧師として任命したのではないでしょうか。
明日も同じ箇所からの学びとなります。》