◇◆◇日々のみ言葉
2018年12月21日(金)
◎聖書箇所【使徒の働き6章1節】
6:1 そのころ、弟子たちがふえるにつれて、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちが、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情を申し立てた。彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給でなおざりにされていたからである。
◎ショートメッセージ
《今日から、使徒の働きも第6章に入ります。
いよいよ最初の殉教者ステパノの話となります。
この短い文書から、様々なことが読み取れます。
「その頃」とは、使徒たちにユダヤの最高議会が、命じた時の頃と言うことです。
「二度と、イエスの名によって教えてはならない。」と大祭司は命じました。実はこれは二度目であって、議会の使徒たちへの最後通告となります。
「弟子たちが増えるにつれて」とは、主イエス様と聖霊様は、次々に人々を救いに導かれたのです。リバイバルは続いています。
短期間で多くの人々が救われたことは素晴らしいことであって、まさに奇跡です。しかし、生まれたばかりのたくさんの赤ちゃんを面倒見るには、たくさんの乳母が必要であるのに、彼らを教える者たちは、実際には十二使徒たち、つまり十二人だけであったのです。
もちろん男性が救われたと同時に、多くの女性も救われました。その女性たちの面倒を見ていたのが、イエス様の公生涯から付き従って来た女性たちであったことは、間違いのないことです。
そして次に分かることは、救われたユダヤ人たちには、二つのグループが存在していたことです。すなわち、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちと、ヘブル語を使うユダヤ人たちです。
これはどのようなことかと言いますと、当時の多くのユダヤ人たちは国際社会に進出していましたし、その公用語はギリシャ語でした。もちろん彼らはヘブル語をも話せますが、日常は主にギリシャ語を中心に話すのです。つまり頭の中はギリシャ語で物事を考えていると言うことです。
そしてヘブル語を話すユダヤ人とは、その反対で、ギリシャ語を話したとしても、頭の中はヘブル語で物事を考えていると言うことです。もちろん日常はヘブル語を話しています。
そして一番大事なことは、十二使徒はガリラヤ出身の一般のユダヤ人であり、その三分の一は漁師だったわけで、リーダーのシモン・ペテロはギリシャ語は話せませんでした。だからこそ、通訳にヨハネ・マルコが必要だったのです。
おそらく使徒たちは忙しすぎた為に、このような事態に陥ったと思われます。ギリシャ語を中心に話すユダヤ人のやもめたちにまで、日々の配給が十分に回らなかったようです。
ここでもやはり「やもめ」は弱い立場なのです。なぜなら、ユダヤ社会は男性社会であったからです。
その事態を見かねて、ギリシャ語を話す信徒の中から、リーダーが選ばれ、シモン・ペテロに苦情を申し立てたと言うわけです。
教会は、聖霊様に満たされていたとしても、やはり人間の集まりであって、どうしても問題は起こってくるものなのです。明日は、その解決案を見てみましょう。》