• 日々のみ言葉 2019年6月22日(土)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2019年6月22日(土)

    ◎聖書箇所【使徒の働き13章1節】
    13:1 さて、アンテオケには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、国主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどという預言者や教師がいた。

    ◎ショートメッセージ
    《昨日から使徒の働きの学びも13章に入りました。今日も同じ箇所となります。

     アンテオケとは、今のシリヤにあります。紀元前301年にセレウコス王朝の創始者セレウコス1世ニカトルが建設したシリヤの首都で、父アンティオコスを記念してアンテオケと命名されました。
     地中海からオロンテス川を24キロさかのぼった左岸にあり、アンテオケまで地中海から川を航行することができたのです。セルキヤはその重要な港でありました。都市は通商貿易の中心で、東からは都市に集まる隊商道路があります。
     アンテオケは広く肥沃な谷にあり、壮大で雪をかぶった山々に守られ、「美しく,金色の」アンテオケと呼ばれていました。
     紀元前65年にローマによってシリアは滅ぼされましたが、アンテオケはローマのシリヤ州の首都となりました。
     セレウコス王朝の王とローマの皇帝はローマ、アレキサンドリヤに次ぐローマ帝国の第3の都市になるまで、整備を拡大したのです。
     紀元1世紀、イエス様が生きておられた頃には、人口が50万ほどの国際都市となっていて、ギリシヤ人と同じ特権を持つユダヤ人も多く住んでいました。

    ところで、アンテオケは初代キリスト教会においては重要な都市です。エルサレム教会の最初の執事の一人はアンテオケの改宗者ニコラオであり、最初の異邦人教会となったのも、アンテオケ教会でした。
     ステパノの殉教で、エルサレムを追われた多くの兄弟がアンテオケに集まり、ユダヤ人ばかりか、ギリシヤ人にも宣教して異邦人への救いの道を築いたのです。
     十二使徒によって、エルサレム教会から派遣されたバルナバとパウロは、共に長い期間にわたって、アンテオケ教会に奉仕し、正しい福音の教理を教えました。
     また、主イエス様の弟子たちが、キリスト者(クリスティアノス)と呼ばれるようになったのも、このアンテオケです。
     パウロ一行を3度の伝道旅行に派遣したのも、この教会です。またアンテオケ教会はエルサレム会議に異邦人回心者の割礼の問題を取り上げて、ユダヤ主義(割礼)に対する勝利を勝ち取りました。
     やがてクリスチャンの都市として、紀元252年から380年まで10回の教会会議が開かれたことも特記すべきことです。
     紀元538年にペルシヤ人によって破壊され、紀元635年にイスラム教徒に占領されました。今現在は、さほど重要な都市としては残ってはおらず、小さな町が存在していいます。

     そのアンテオケ教会に、主イエス様は、重要な主の器を集めておられたと言うのです。》

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