• 日々のみ言葉 2019年6月28日(金)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2019年6月28日(金)

    ◎聖書箇所【使徒の働き13章2節】
    13:2 彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、「バルナバとサウロを私の為に聖別して、私が召した任務につかせなさい。」と言われた。

    ◎ショートメッセージ
    《昨日と同じ箇所であり、続きとなります。

     この時、聖霊が「バルナバとサウロを私の為に聖別して、私が召した任務につかせなさい。」と言われたことをルカは書き記していますが、今日はこの命令の内容について、考えて見たいと思います。

     この命令こそ、主イエス様の御旨であって、「世界宣教」であることは言うまでもありません。
     十二使徒たちは、エルサレムを中心として伝道していました。そのおもなターゲットは、エルサレムに巡礼に来る世界中に散らばっていたユダヤ人であったのです。

     しかしイエス様は、使徒のリーダーであるシモン・ペテロに、カイザリヤに駐屯しているローマ軍第Ⅱイタリア隊の百人隊長コルネリオを通して、福音は決してユダヤ人だけのものではなく、異邦人も救われるべき存在であることを教えられたのです。

     イエス様は本当に正しい手順を用いて、愛するご自身の弟子たちを導いて行かれます。

     次に、「私の為に」そして「私が召した」ことについて考えて見ましょう。
     まず「私」とは、主イエス様のことです。イエス様の為に、彼らは聖別される必要があると言われるのです。これは、アンテオケ教会の預言者と教師と言う立場ではなく、そこから分離させなさい、と言うことです。そしてその後、イエス様が二人を導き、用いると言う意味なのです。

     「私が召した」こととは、特別な任務に就かせると言うことです。その任務こそが、ユダヤ人以外の民族を、すなわち異邦人を救いに導く「世界宣教」なのです。

     さて、異邦人への伝道と言う特別な任務が、なぜサウロとバルナバに与えられたのでしょうか。
     この時のサウロはサウロであって、まだパウロではありません。彼が名前を変えなくてはならなかったことこそが、異邦人への使徒の召命のしるしなのです。

     以前のサウロは、エルサレム教会に集っていた多くの同胞のユダヤ人を迫害し、そして処刑したのです。
     この最初の群れこそが、五旬節の祭り(ペンテコステ)の時に、あらゆる国からやって来たユダヤ人たちでした。
     ペンテコステのその時に、三千人の兄弟が救われました。彼らの妻と子どもたちを数えるとしたら、優に一万人は越えていたはずです。そしてさらに日を追うごとに、加えられる兄弟たちの数は増え続けて行きます。

     その者たちを、サウロは迫害し、ある者を石打の刑に処し、そしてエルサレムから追放したのです。その家族や親戚、知人はサウロの行く所、ローマ帝国内ならば、どこにでも存在するはずです。
     サウロは、いやパウロは、使徒としての人生の生涯において、個人的に自分に恨みと憎しみを持つ同胞ユダヤ人から、命を狙われ続けることになるのです。

     それだからこそ、彼は名前をパウロと変え、またユダヤ人ではなく異邦人の使徒として、伝道旅行に赴いて行くのです。

     また晩年はローマ市内の牢の中で過ごすことになるのですが、実はそれも主イエス様の哀れみと恵みであって、そこならばユダヤ人は手を出せないからです。
     そして友人のルカが、「福音書」と「使徒の働き」を執筆することに、十分時間をかけて、助けることが出来たのです。》

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