◇◆◇日々のみ言葉
2019年7月6日(土)
◎聖書箇所【使徒の働き13章9節~12節】
13:9 しかし、サウロ、別名でパウロは、聖霊に満たされ、彼をにらみつけて、
13:10 言った。「ああ、あらゆる偽りとよこしまに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵。おまえは、主のまっすぐな道を曲げることをやめないのか。
13:11 見よ。主の御手が今、おまえの上にある。おまえは盲になって、しばらくの間、日の光を見ることができなくなる。」と言った。するとたちまち、かすみとやみが彼をおおったので、彼は手を引いてくれる人を捜し回った。
13:12 この出来事を見た総督は、主の教えに驚嘆して信仰にはいった。
◎ショートメッセージ
《一昨日、そして昨日と同じ箇所からとなります。明日は先に進みましょう。
さて、今日は特に13章9節に注目して見たいと思います。
『しかし、サウロ、別名でパウロは、聖霊に満たされ、彼をにらみつけて、言った。』
使徒の働きの中で、初めて「サウロ」と言う名前が登場しますのは、ステパノの石打ちの刑の場面です。そのことはすでに学びました。
使徒の働きによりますと、
『人々は大声で叫びながら、耳をおおい、いっせいにステパノに殺到した。そして彼を町の外に追い出して、石で打ち殺した。証人たちは、自分たちの着物をサウロという青年の足もとに置いた。
こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んでこう言った。
「主イエスよ。私の霊をお受け下さい。」
そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。
「主よ。この罪を彼らに負わせないで下さい。」
こう言って、眠りについた。
サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者は皆、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。
(使徒の働き7:57~7:60および8:1)』と書かれています。
実は、この場面から今日のみ言葉の箇所までが、「サウロ」であり、ここから彼の名前は「パウロ」となっているのです。
以後、ルカは一貫して「パウロ」を用います。「サウロ」とは、ユダヤ名でヘブル語です。そして「パウロ」は、「サウロ」のギリシャ語読みなのです。
今日はパウロの人生背景についてあらためて考えて見たいと思います。その誕生から、エルサレムで迫害者として登場するまでのパウロに関する情報は、聖書には詳しく書かれてはいません。
パウロは小アジヤのキリキヤのタルソで生れた生粋のユダヤ人で、ベニヤミン族の出身であり、また律法学者の中で最も厳格であったパリサイ派に属していました。
そして、生れながらのローマ市民であったこと、また13歳のバル・ミツバを迎えてからエルサレムに上り、姉妹の家に滞在しながら、一世紀最大のラビであると言われた「ガマリエル1世」のもとで学びました。よって家庭はかなり裕福であったことは、間違いのないことです。
パウロが生まれたタルソは当時、アンテオケやアレキサンドリヤと並ぶ学術都市でした。正統的なユダヤ人としての教育(律法や天幕作りの技術の修得)ばかりでなく、ギリシヤ・ヘレニズム文化にも触れ、知識に富み、博学であったと思われます。この時から、すでに異邦人伝道への備えが、神様によってなされていたのです。
パウロはが、十字架につけられる以前の主イエス様を知っていたかどうかについては、聖書は明らかにしてはおりません。
しかしエルサレムに住む者が、当時あれほどまでにセンセーショナルを巻き起こされた主イエス様を全く知らないと言うことが、果たしてあり得るのでしょうか。
私は、個人的には、パウロは主イエス様にお会いしていたと考えています。あの金持ちで、議員であった青年こそが、後のパウロであると信じて止みません。》