◇◆◇日々のみ言葉
2019年11月2日(土)
◎聖書箇所【使徒の働き17章16節~17節】
17:16 さて、アテネでふたりを待っていたパウロは、町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを感じた。
17:17 そこでパウロは、会堂ではユダヤ人や神を敬う人たちと論じ、広場では毎日そこに居合わせた人たちと論じた。
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からです。
アテネは、古代ギリシヤのアッティカ地方の首都で、現代もギリシヤの首都です。町の名前はその守護神アテナに由来すると考えられています。
ギリシヤ南部ピレウス半島西岸アイギナ湾に近く、アテネ平野の中央を流れるケフィソス川の支流イリソス川およびそのまた支流のエリダノス川にはさまれた丘陵アクロポリスを中心に町は発展しました。
古跡として有名なアクロポリスは、標高157メートルで、東のリュカベトス、西のプネクス等と共にアテネ丘陵地と呼ばれています。
この地方の気候は乾燥していますが、オリーブやぶどうなどの果樹の栽培に適しています。また陶芸に適した粘土や大理石、銀、鉛等も多く産出しました。近くには貿易港としてプリアエウス港があります。
歴史的に見ますと、紀元前3千年以前の石器時代には、すでにこの地域に居住がなされており、青銅器時代末期(紀元前1600~1200年頃)には、アクロポリスに城壁が築かれていたと言われています。
アッティカ地方の統一がミケーネ時代の英雄テセウスによるという伝承がありますが、実際の都市国家成立は紀元前8世紀半ばと考えられています。
やがてアテネは、様々な政治形態を経て、古代民主主義の都市国家となって行きます。
特に紀元前443年~429年にかけて、ペリクレスが将軍として統治していた時代がアテネの全盛期でありました。その頃、パルテノン神殿が建設されたり、哲学者ソクラテス、歴史家ヘロドトス、多くの劇作家等、著名な文化人が活躍するなど、まさにギリシヤ古典文化の黄金時代を築き上げたのです。
しかしその後アテネは、長期間に及んだスパルタとのペロポンネソス戦争の敗北とデロス同盟の崩壊などによって衰退して行きます。
やがて、ローマ帝国の属州都市となり、この頃、経済的な繁栄はコリントやアレキサンドリヤへ移って行きました。しかしアテネは文化的には、エピクロス派やストア派の哲学を初め、演劇や建築等の方面でも新しい発展を見せて行くのです。
使徒パウロが初めて訪れた頃のアテネは、すでに最盛期を遠く過ぎていたとは言え、世界の文化の中心でありました。
哲学も思想も芸術も、すべてはここから発したのです。その流れが、今日、現在まで世界を覆っていると言って良いほどです。
ソクラテスやプラトン、そしてアリストテレスが咲かせた哲学の花は、まだ健在でしたし、ペリクレス時代の偉大な建築家や彫刻家たちの作品は林立しておりました。
そして、アクロポリスの丘とそこにそびえ立つパルテノン神殿は、その守護神である知恵の女神アテナと共に、世界の学徒のあこがれの的でした。
この町に来た人々は、世界の文化の都アテネへ来て、質量ともに、その文化に圧倒されたのです。
またアテネは民主主義発祥の地として、輝かしい伝統を誇っていました。ペリクレスやデモステネスの時代と同じく、市民たちはアゴラと呼ばれた広場に集まっては、論じ合っていたのです。
しかし使徒パウロの見る目は違っていたのです。彼はアテネの文化に圧倒されるよりも、町に氾濫している偶像を見て、心の中に強い憤りを感じていたのです。》