• 日々のみ言葉 2019年11月1日(金)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2019年11月1日(金)

    ◎聖書箇所【使徒の働き17章16節~17節】
    17:16 さて、アテネでふたりを待っていたパウロは、町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを感じた。
    17:17 そこでパウロは、会堂ではユダヤ人や神を敬う人たちと論じ、広場では毎日そこに居合わせた人たちと論じた。

    ◎ショートメッセージ
    《ベレヤからアテネまでは、距離にして320キロほど離れていました。この時、パウロのチームは二手に分かれてしまったのです。
     ベレヤで救われて、主にある兄弟となったユダヤ人たちは、テサロニケのユダヤ人指導者たちがパウロを捕らえようとやって来た時、ただちにパウロを送り出して海べまで連れて行き、船に乗ると見せかけて、追っ手を巻いて陸路を通り、アテネまで連れて行ったと思われます。

     ここで、一つの疑問が生じます。それは「アテネ行き」を誰が決めたのかと言うことです。
     一つは、ベレヤの信者になったばかりの兄弟たちの機転。
     次に、パウロ自身の願いによって。
     そしてもう一つは、聖霊様の導きによって、と言う推測がなされるのです。

     どの理由が一番当てはまるのかは分かりませんが、
     尾山令仁先生による「使徒の働き(下)」によりますと、
    『西方本文では、15 節に「パウロを案内した人たちは、彼をアテネまで連れて行った。」のあとに、「しかし、彼はテッサリヤを通過した。それは、人々にみ言葉を語ることを禁じられたからである。」と言う文章を加えています。』
     と言う注釈が加えられています。

     よって、聖霊様による導きであったと考えますのが、一番しっくり行きそうです。
     さて、パウロをアテネまで送り届けてくれたベレヤの兄弟たちは、戻って行きました。パウロがアテネにやって来たのは、間違いなく、彼の人生で初めてのことです。

     この時、医者ルカは同行していたのかは分かりません。私は、一時ルカはパウロから離れて、カイザリヤに戻ったのではないかと考えます。

     もしルカが同行していたのなら、「アテネでふたりを待っていたパウロは」とは書かず、「アテネでふたりを待っていた私たちは」と書くはずだからです。

     さて当時のアテネは、まさに世界の文化の中心でした。パウロは、ベレヤに踏みとどまったシラスとテモテが来るまで、この繁栄したギリシャ最大の都市を見物することにしたようです。

     今もアテネの遺跡は存在していますが、パウロがやって来た、今から1,900年以上も前のアテネは、パルテノン神殿やその他の壮大な建造物が、完全な形で現存していたわけです。日本の歴史は、まだ始まってもいない時代にです。
     私は、その時のアテネの繁栄の姿や、パウロの驚いた顔が目に浮かびます。明日も同じ箇所から、「アテネ」についてさらに詳しく学びたいと思います。》

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