• 2019年11月3日礼拝メッセージの概要

    ◇◆◇2019年11月3日第一主日礼拝
    ◎本日の聖書箇所【ヨハネの福音書20章11節~16節】 (新約p.204上段右則)
    20:11 しかし、マリヤは外で墓のところにたたずんで泣いていた。そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。
    20:12 すると、ふたりの御使いが、イエスのからだが置かれていた場所に、ひとりは頭のところに、ひとりは足のところに、白い衣をまとってすわっているのが見えた。
    20:13 彼らは彼女に言った。「なぜ泣いているのですか。」彼女は言った。「だれかが私の主を取って行きました。どこに置いたのか、私にはわからないのです。」
    20:14 彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。すると、イエスが立っておられるのを見た。しかし、彼女にはイエスであることがわからなかった。
    20:15 イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」彼女は、それを園の管理人だと思って言った。「あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに置いたのか言ってください。そうすれば私が引き取ります。」
    20:16 イエスは彼女に言われた。「マリヤ。」彼女は振り向いて、ヘブル語で、「ラボニ(すなわち、先生)。」とイエスに言った。

    ◎メッセージの概要【マグダラのマリヤの場合】
    《今日は、マグダラのマリヤから見た主イエス様の復活について考えて見ましょう。イエス様の三年半にわたる公生涯において、ごく初期段階の記事において、初めて彼女の名前が登場します。
     ルカによりますと、『その後、イエスは、神の国を説き、その福音を宣べ伝えながら、町や村を次から次に旅をしておられた。十二弟子もお供をした。また、悪霊や病気を直していただいた女たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリヤ、ヘロデの執事クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、そのほか自分の財産をもって彼らに仕えている大ぜいの女たちも一緒であった。』と書かれています。
     多くの映画では、「マグダラのマリヤ」は遊女として描かれていますが、真偽は分かりません。彼女はガリラヤ湖の南西に位置したマグダラの出身であり、マグダラとはヘブル語で「ミグドール(見張り台)という意味」のギリシヤ語音訳です。
     この町はガリラヤ湖の漁業の中心地の一つで、商業も栄えていました。イエス様の「ガリラヤ伝道」において救われた女性たちの一人であったようです。となりますと、少なくとも三年は、イエス様と行動を共にしていたと思われます。
     さて、共観福音書における平行記事を見てみましょう。復活の場面では、多少時制の前後があったり、主がよみがえられた「週の始めの日」の朝には、主が生きている姿を現わされたのは、ガリラヤから共に行動して来た女たちとペテロであって、目撃者も少ないうえに、ほとんど誰もイエス様が復活されることを信じていませんでした。
     またその時、御使いをかなり恐れたことも事実であって、その証言に多少の混乱があったことは、やむを得ないかと思われます。
     そこで徹底的に調べ、一番時制が正確と言われる「ルカの福音書」から見てみましょう。『週の初めの日の明け方早く、女たちは、準備しておいた香料を持って墓に着いた。見ると、石が墓からわきにころがしてあった。はいって見ると、主イエスのからだはなかった。
     そのため女たちが途方にくれていると、見よ、まばゆいばかりの衣を着たふたりの人が、女たちの近くに来た。恐ろしくなって、地面に顔を伏せていると、その人たちはこう言った。「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず罪人らの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえらなければならない、と言われたでしょう。」
     女たちはイエスのみ言葉を思い出した。そして、墓から戻って、十一弟子とそのほかの人たち全部に、一部始終を報告した。この女たちは、マグダラのマリヤとヨハンナとヤコブの母マリヤとであった。彼女たちと一緒にいたほかの女たちも、このことを使徒たちに話した。
    ところが使徒たちにはこの話はたわごとと思われたので、彼らは女たちを信用しなかった。』、となっています。
     先週のメッセージでは、弟子たちは二手に分かれたことを学びました。マグダラのマリヤは、ペテロとヨハネと主の母マリヤと妹サロメと共に安息日を過ごした後に、アリマタヤのヨセフの墓に、女たちと向かったことが分かります。
     そこで彼女たちは「御使い」に遭遇することになります。ここで女たちは二手に分かれます。マグダラのマリヤは、ゼベタイの家へ向かい、ペテロとヨハネに告げ知らせるのです。
     しかし、ヨハンナとヤコブの母マリヤと他の女たちは、その足ですぐにベタニアに向かうことになります。まだ朝早い時間であったわけですから、女性が一人で、エルサレムの城門を出て行くことは、かなり危険です。よって数人の女性たちで、ベタニヤに急行したのです。
     マグダラのマリヤは、ペテロとヨハネがゼベタイの家から飛び出して、墓に向かった後に、一人でもう一度墓に行くのです。墓に到着しますと、すでにペテロとヨハネは去った後だったようです。この時、再び御使いが彼女に現われます。彼女が、この二人の御使いに会うのは二度目となります。なぜなら、マリヤは恐れていないからです。
     さて、よみがえられた主イエス様が、一番最初に生きておられるお姿を現わされたのは、間違いなく「マグダラのマリヤ」です。
     マルコの福音書には、別の追加文として書かれています。
    〔さて、週の初めの日の朝早くによみがえったイエスは、まずマグダラのマリヤにご自分を現わされた。イエスは、以前に、この女から七つの悪霊を追い出されたのであった。マリヤはイエスと一緒にいた人たちが嘆き悲しんで泣いているところに行き、そのことを知らせた。
    ところが、彼らは、イエスが生きておられ、お姿をよく見た、と聞いても、それを信じようとはしなかった。〕と。
     ここからも分かることがあります。それは、マグダラのマリヤは、ヨハンナとヤコブの母マリヤと他の女たちの後を追いかけて、ベタニヤに向かったのです。
     またベタニヤに向かった女たちにも、イエス様が現われて下さいます。
    『そこで、彼女たちは、恐ろしくはあったが大喜びで、急いで墓を離れ、弟子たちに知らせに走って行った。すると、イエスが彼女たちに出会って、「おはよう。」と言われた。彼女たちは近寄って御足を抱いてイエスを拝んだ。すると、イエスは言われた。「恐れてはいけません。行って、私の兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこで私に会えるのです。」』
     ヨハネは、三つの共観福音書を手に持っていましたから、第四福音書には、彼自身がマグダラのマリヤから直接聞いたことを書き記したのです。
     イエス様は、一番最初に、マグダラのマリヤに現わされたのです。次に使徒のリーダーのペテロに、そしてヨハンナとヤコブの母マリヤたちに、その後、エマオの自宅に戻るクレオパ夫妻に現われたのです。そしてその日の夕方、彼らが集まっていた場所に、突然現われて下さるのです。
     最後に、なぜイエス様は、「マグダラのマリヤ」に最初に現われて下さったのでしょうか。その理由は分かりません。主の御旨の中のことだからです。主が、そのように思われて、そのようになされたとしか言えないのです。》

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