◇◆◇日々のみ言葉
2019年11月7日(木)
◎聖書箇所【使徒の働き17章22節~23節】
17:22 そこでパウロは、アレオパゴスの真中に立って言った。「アテネの人たち。あらゆる点から見て、私はあなたがたを宗教心にあつい方々だと見ております。
17:23 私が道を通りながら、あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、『知られない神に。』と刻まれた祭壇があるのを見つけました。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、教えましょう。」
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。
今日から、パウロがアテネ市のアレオパゴス議会において語った異邦人に向けてのメッセージの内容について深く考えて行きたいと思います。
「アテネの人たち。あらゆる点から見て、私はあなたがたを宗教心にあつい方々だと見ております。」
宗教心があついことと、本物の唯一のまことの神様を求めていることとは、天地ほどの開きがあるのです。
実際に、日本には、やおよろずの神が溢れており、また祀られています。様々な場所において毎年同じ時期に行なわれる「祭り」とは、「祀る」言葉から来ています。
確かに日本の文化であり、また年中行事でもあり、そして町や村を一つにして盛り上がりを見せてはいます。
しかしその真髄は「悪魔礼拝」であって、悪霊を賛美しているほかならないのです。かつてのギリシャ人たちが、宗教心があつかったと同じように、日本人も宗教心があついことは、間違いないことです。
それだからこそ、悪魔・悪霊は日本人の目を、まことの唯一の神様である主イエス・キリストから、ほぼ完全に曇らせていることに成功しています。この時のアテネのギリシャ人たちと同じように。
しかし、主の使徒、主の証し人であるパウロがアテネにやって来ました。たった一人で。そして今、エルサレムのサンヘドリンではなく、異邦人であるギリシャ人のアレオパゴス議会の被告席の真ん中に立たせられているのです。
「私が道を通りながら、あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、『知られない神に。』と刻まれた祭壇があるのを見つけました。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、教えましょう。」
「知られない神に」とは、ディオゲネス・ラエルティウスによりますと、彼の著書「哲学の生涯」の中で、次のように述べています。
『その昔、アテネにペストが流行した時に、アテネの人々がクレテの賢人エピメニデスに助けを求めて人を送ったところ、彼はアレオパゴスの丘から無数の羊を放ち、この羊が休んだ所には、みなしかるべき神に犠牲をささげるようにと勧めた。その結果、紀元前三世紀頃には、アッティカのいたる所に「知られない神への祭壇」が見られるようになった。』と。
アテネの人々が、そのように行動した結果、ペストの流行が収まったからこそ、その祭壇と言い伝えが残されていることは、言うまでもありません。
何か非常に不思議な心持ちがするのは、私だけでしょうか。パウロが、その羊について、すなわち「神の小羊」について、語る切っ掛けとなる言い伝えとは、言えないでしょうか。明日は先に行きましょう。》