◇◆◇日々のみ言葉
2019年11月17日(日)
◎聖書箇所【使徒の働き18章2節~3節】
18:2 ここで、アクラというポント生まれのユダヤ人およびその妻プリスキラに出会った。クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命令したため、近ごろイタリヤから来ていたのである。パウロはふたりの所に行き、
18:3 自分も同業者であったので、その家に住んで一緒に仕事をした。彼らの職業は天幕作りであった。
◎ショートメッセージ
《昨日から、「使徒の働き」の学びは、18章にはいりました。
パウロはアテネを去って、コリントへ行きました。この時は、まだ一人であったようです。
彼がなぜこの町に行こうとしたのか、その詳しい理由は分かりませんが、アカヤ州の首都であって、政治的かつ経済的中心であったからではないでしょうか。
もちろんパウロの耳にも、この町が、愛の女神アフロディテ信仰の本拠地であったことは届いていたに違いありません。それほどに、この町は性的に乱れ、不品行が当たり前のようになっていたのです。
一年半におけるパウロの腰を据えた伝道によって、多くの人々が救いに導かれましたが、コリント教会内においても、未信者と何ら変わらないほどの不品行を行なう者が存在したことは、第Ⅰおよび第Ⅱコリントの手紙によって知ることが出来ます。
さて、パウロは何時ものように、まずコリントにあるユダヤ人の会堂に、安息日に赴くと言うアプローチを試みました。
すると、何とここで運命的な出会い、あるいは神様の摂理、いいえ奇跡的配慮としか言えない、ある人物と出会うことになるのです。
それがアクラであり、そしてその妻プリスキラなのです。彼らがユダヤ人であることは明白です。またローマ市民であったことも、ほぼ間違いないことでしょう。
アクラとは、ギリシャ語ではアクロスです。ポント生れのユダヤ人でありました。ポントとは、「海」という意味で、小アジヤ北東部の地域を指す呼称として用いられていたようです。しかし元来は黒海を指す用語でありました。つまり黒海地方です。
五旬節の時、この地方からエルサレム巡礼に来ていた敬虔なユダヤ人たちが、ペンテコステの証人となりました。
使徒の働きによりますと、
『彼らは驚き怪しんで言った。
「どうでしょう。いま話しているこの人たちは、みなガリラヤの人ではありませんか。それなのに、私たちめいめいの国の国語で話すのを聞くとは、いったいどうしたことでしょう。
私たちは、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人、またメソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者たち、また滞在中のローマ人たちで、ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレテ人とアラビヤ人なのに、あの人たちが、私たちのいろいろな国言葉で神の大きなみわざを語るのを聞こうとは。」(使徒の働き2:7~2:11)』と書かれています。
明日も同じ箇所からとなります。》