• 日々のみ言葉 2019年11月18日(月)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2019年11月18日(月)

    ◎聖書箇所【使徒の働き18章2節~3節】
    18:2 ここで、アクラというポント生まれのユダヤ人およびその妻プリスキラに出会った。クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命令したため、近ごろイタリヤから来ていたのである。パウロはふたりの所に行き、
    18:3 自分も同業者であったので、その家に住んで一緒に仕事をした。彼らの職業は天幕作りであった。

    ◎ショートメッセージ
    《昨日と同じ箇所からとなります。
     パウロはアテネを去って、コリントへ行きました。そして、安息日に、ユダヤ人の会堂を訪ねたのです。これがパウロの伝道方法でした。
     パウロがアテネに来たのは、歴史的証拠から、紀元50年であると言われています。イエス様の十字架は、紀元27年頃であると推定されることから、サウロ(後のパウロ)とイエス様がエルサレムにおいて、直接出会っていないようなことがあるのでしょうか。
     学者の中には、「サウロはエルサレムに在住していたが、イエスには何の関心も示さなかった」と、考えている者も少なからずいるようです。
     私は、個人的には、イエス様が出会った、「パリサイ派の議員の青年」こそが、若きパウロであると真剣に思っています。もちろん確固たる証拠はありませんが。

     パウロはこの時は、まだ一人でした。
     彼がなぜこの町に行こうとしたのか、その詳しい理由は分かりませんが、アカヤ州の首都であって、政治的かつ経済的中心であったからだと思われます。
     もちろんパウロの耳にも、この町が、愛の女神アフロディテ信仰の本拠地であったことは聞こえていたに違いありません。それほどに、この町は性的に乱れ、不品行が当たり前のようになっていたのです。

     さて、コリントのユダヤの会堂において、パウロはアクラとプリスキラ夫婦に出会います。昨日は、アクラについて学びましたが、今日は妻のプリスキラについて学ぶことにしましょう。

     ルカは愛称で書き記していますが、本名は「プリスカ」です。パウロの書簡には、夫アクラよりも、何時も先に書かれています。

    『キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えて下さい。この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。この人たちには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。(ローマ人への手紙16:3~16:4)』

    『プリスカとアクラによろしく。また、オネシポロの家族によろしく。(第Ⅱテモテ4:19)』

     ここから、このユダヤ人夫婦は異邦人の間でも受け入れられていたことが分かります。また、プリスカの名前がアクラよりも先に書かれていますが、それは、彼女の方が教会において影響力を持っていたためではないかと考えられています。
     パウロは彼女を正式の呼び名でプリスカと呼んでいます。その明確な理由は分かりませが、おそらく「命の恩人」であることから、感謝と尊敬の念を込めて、正式な名前で呼んだのではないでしょうか。
     またルカは、愛称で呼んでいますが、それはごく親しいことを意味しています。ルカにとっても、アクラとプリスキラ夫婦は、主にある同労者であり、また同士であったと思われるのです。

     明日も同じ箇所からとなります。》

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