◇◆◇日々のみ言葉
2019年11月19日(火)
◎聖書箇所【使徒の働き18章2節~3節】
18:2 ここで、アクラというポント生まれのユダヤ人およびその妻プリスキラに出会った。クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命令したため、近ごろイタリヤから来ていたのである。パウロはふたりの所に行き、
18:3 自分も同業者であったので、その家に住んで一緒に仕事をした。彼らの職業は天幕作りであった。
◎ショートメッセージ
《昨日に引き続き、三日間、同じ箇所からとなります。
紀元49年に、ローマ帝国クラウディオ帝は、ユダヤ人追放令を出しました。このユダヤ人退去命令というのは、スエトニウスの「クラウディオ帝伝」によりますと、「ユダヤ人たちは、クレーストゥスの扇動で、絶えず騒動ばかりしていたので、クラウディオ帝は、彼らをローマから追放した。」としるされています。
ここに書かれた「クレーストゥス」と言う名前は、おそらく「クリストゥス」で、キリスト者を意味することではないかと考えられます。
もしそうだとするならば、ユダヤ人の会堂に集うパリサイ人や律法学者たち、ユダヤ人の指導者たちが、「キリスト者」を目の敵にして、騒動を起こしては、その責任をキリスト者のせいにしていたとも考えられるのです。
ギリシャ語では、「クレーストゥス」も「クリストゥス」も、ほとんど同じように発音します。
いずれにせよ、聖霊降臨日に、多くのローマ人の改宗者が救われましたし、また多くのローマ在住のユダヤ人がキリスト者になりましたから、その可能性は非常に高いと言えそうです。
いずれにせよ、クラウディオ帝は、好ましからざるユダヤ人をローマから追放する勅令を出したのです。
その勅令によって、アクラとプリスキラ夫婦はコリントへ移って来ました。となりますと、この夫婦は、すでに救われてキリスト者になっていたとも考えられます。
もしそうだとしたならば、この二人はエルサレムにおいて救われ、エルサレムには留まらず、ローマに戻って行った可能性も考えられるかと思われます。
なぜアクラとプリスキラ夫婦がコリントを選んだのか、彼らの職業が「天幕作り」であったことから、天幕を多く必要とする大都市において、仕事に、そして伝道に励む為ではないでしょうか。
ギリシャのコリントは、アカヤ州の首都で、政治的に経済的に、まさしく中心となっていたからです。
アクラとプリスキラ夫婦は、同業者であるパウロを迎え入れ、共に「天幕作り」をすることになりました。
実際問題として、ここまで伝道に来る為には、かなりの旅費が必要であったことは言うまでもありません。もしかしたら、持ち金の半分以上を、弟子テモテとシラスに渡していたことも考えられます。
よってパウロも働かなければ、旅費は底を着き、食べる物にも不足してしまうことになります。
そのような時に、主イエス様は、常に先回りをされ、「天幕作り」の同業者を、先にコリントへ送っておられたのです。
この仕事によって、パウロは生活の心配がなくなり、毎安息日ごとに、ユダヤ人の会堂を訪ねては、主イエス様の福音を語ることが出来たのです。》