• 2020年8月2日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【使徒の働き3章17節~23節】
    3:17 「さて兄弟たち。あなたがたが、自分たちの指導者たちと同様に、無知のためにあのような行いをしたことを、私は知っています。
    3:18 しかし神は、すべての預言者たちの口を通してあらかじめ告げておられたこと、すなわち、キリストの受難をこのように実現されました。
    3:19 ですから、悔い改めて神に立ち返りなさい。そうすれば、あなたがたの罪はぬぐい去られます。
    3:20 そうして、主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにあらかじめキリストとして定められていたイエスを、主は遣わしてくださいます。
    3:21 このイエスは、神が昔からその聖なる預言者たちの口を通して語られた、万物が改まる時まで、天にとどまっていなければなりません。
    3:22 モーセはこう言いました。『あなたがたの神、主は、あなたがたの同胞の中から、私のような一人の預言者をあなたがたのために起こされる。彼があなたがたに告げることすべてに聞き従わなければならない。
    3:23 その預言者に聞き従わない者はだれでも、自分の民から断ち切られる。』」

    ◎メッセージ【一人の預言者とは?】
    《ペテロとヨハネは「美しの門」において、生まれつき足の効かない物乞いの青年を主の御名によって癒し、「ソロモンの回廊」にやって来ました。何と癒された青年は、二人の後を神を誉め讃え喜び踊りながら、ぴったり付いて来てしまったのです。その有様を見ていたユダヤ人たちは、ペテロとヨハネが集まっていた所にやって来ました。
     するとペテロは聖霊に満たされて、彼らに救いのメッセージを語り始めたのです。「さて兄弟たち。あなたがたが、自分たちの指導者たちと同様に、無知のためにあのような行いをしたことを、私は知っています。しかし神は、すべての預言者たちの口を通してあらかじめ告げておられたこと、すなわち、キリストの受難をこのように実現されました。」
     ここで、ペテロが言う「キリストの受難」とは、おもにイザヤ書53章のみ言葉であって、「悲しみのメシヤ」預言と言われています。
    『彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていた。まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。彼は痛めつけられ、苦しんだ。だが、口を開かない。屠り場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。』
     この預言は、真に主イエスの「十字架」によって成就しました。おそらく、この時点から、まだ50日プラス数日前の出来事になります。まだ記憶に新しいのです。
    「ですから、悔い改めて神に立ち返りなさい。」
    「悔い改め」がまず先決です。悔い改める為には、自分が罪人であることを認めなければなりません。そして神様の御前にへりくだることなのです。そうすれば、罪は拭い去られ、神様の方から「回復」の御手が差し伸べられることになります。
     ところで「回復」とは、何が回復するのでしょうか。それは、以前アダムとエバが持っていた、「神様との親しい交わり」が、再びなされると言うことなのです。本来人間は、その為に創造されたのです。それと、死んでいた真の命が回復します。
     ヨハネの黙示録において、主イエス様はこのように言われています。
    「見よ、私は戸の外に立ってたたいている。だれでも、私の声を聞いて戸を開けるなら、私はその人の所に入って彼と共に食事をし、彼も私と共に食事をする。
     勝利を得る者を、私と共に私の座に着かせる。それは、私が勝利を得て、私の父と共に父の御座に着いたのと同じである。」
     そして次に、ユダヤ人ならば、誰もが知る民数記に書かれた「もうひとりの預言者」の事を、シモン・ペテロは取り上げて解説しています。この人物こそが、旧約聖書に約束された「メシヤ」なのです。
     この人物が何時出現するのか、ユダヤ人は待ち続けたのです。すでに来られたにも関わらずにです。主イエス・キリストこそが、モーセを通して、ユダヤ人に神様が約束されたメシヤであることを、ペテロは確信を持って証しています。
     このメッセージによって、さらに多くのユダヤ人が救いに導かれます。「美しの門」に、何年間も物乞いをして来た生まれつき歩けない一人の青年の癒しを通して、主イエスはさらに、二千人の男性の魂を勝ち取ることになるのです。
     このように、人々が大勢救われる為には、リバイバルが訪れるには、奇跡がその入り口となるのです。日本に必ず主は訪れて下さいます。主はその時を定めておられます。「回復」の御わざはすでになされました。「永遠の命」の道は、すでに用意されました。あとはその人が受け取るかどうかです。もちろん悔い改めが条件となりますが。》

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